第8話『女子大生の青春アゲイン』

 部室へ向かう途中。
 すばるは、ほーーーっと空を見上げた。

 「くもり・・・・・・」

 バケサーに集められて、青春ドライブで走り出して。
 それはまだ、ついこの間のことだったはずなのに。いつの間にか、梅雨空が広がっている。

 「あの雲の向こう側には、いわゆるドジャーブルー的なアレが広がっているワケですけど、それが何か?」

 「ふえ・・・?」

 背後から聞こえる、意味不明の解説に振り向くと。
 スケッチブックを抱えた部長が立っていた。

 「あれ?部長???・・・だよね?」
 「いかにも私は私ですけど、なぜ、そんな質問にもならないような質問を?」
 「だって、ベレー帽がないんだもん。なんで?なんで?どこかで落としちゃった?それとも洗濯中?えーと、それとも・・・」

 部長が少し頬を赤らめながら、コホンと咳払いをする。
 「き、今日は、めずらしく髪がうまくまとまったと言いますか・・・そういうことですけど」
 「ふえ・・・?」
 「梅雨なのに!なんと、この湿り気にもかかわらずっ!」
 「?????」
 「わわっ、わからないなら、もういいですから」
 「ほわ・・・」

 「そ、そんなことより、もっと他に聞きたいことがあるんじゃないですか?」
 「別にないよ」
 部長がこれ見よがしに、スケッチブックをグイグイすばるの背中に押しつける。
 「ふえっ!・・・痛~っ!」
 「超高級スケッチブックで背中を撫でただけで、なんと大げさな」
 「理事長さんに言われたトレーニング始めてから、全身が筋肉痛なんだよぉ」
 「ああーっ。それは、それは」

 部長は、すばるの足から頭までスキャンするかのようにズズズーッと視線を動かして、軽い調子で言った。
 「セーフ!外傷なし。お肉の増減なし。つまり、問題なしですから」
 そして、すばるの筋肉痛はなかったかのごとく、夢見る乙女のテンションで超高級スケッチブック(自己申告!)を胸に抱きしめた。
 「近い将来、地球に巨大隕石がぶつかって、エアコンやらパソコンやら合コンやら、世界中の創造的な電気機器がすべてダメになったとしても・・・」
 「しても??」
 「私、私わぁ!世界のありのままを描写し続ける絵描きであり続けるのです。はい!」
 「??????」

 「お、思わず所信表明などしてしまいましたけど。他の人達には秘密ですから」
 「・・・うん。てゆーか、何の話だっけ?」

 部長の脳内には、アナログなペンで自らの手を使って描く力量がなければ、真の絵描きではない(ような気がする)という信念が渦巻いているらしい。
 そんな絵描きのこだわりも、実はベレー帽は寝癖対策グッズだったという衝撃の事実も、すばるの筋肉痛にさらされた前頭葉にとっては単なる雨雲と変わらなくて。

 「ふえぇぇ・・・やっぱり、くもりぃぃぃ・・・・・・」



 お互い相手の状況にロクに関心を抱かないまま、過ぎ行く春の日差しの中、二人は何とはなく部室に到着した。
 クラスのゴミ捨て当番を自主的に却下した恵が、部室の埃に日夜耐え続けている健気なパソコンに向かっていた。

 「メグちゃん!早いね」
 「うん。今朝、兄貴と話してる時、学生フォーミュラ選手権について気になる情報を聞いたんだ。で、とにかく大会規約を見てみようと思って」
 「ほえ?きやく???筋肉だけでなく、頭まで痛くなりそうだよ~」

 フラフラ椅子に座り込むすばるには目もくれず、部長が不服そうに声を上げる。
 「あの~。お取込み中、ナンですけど。なぜ、私のジョセフィーヌを・・・」
 「ジョセフィーヌ??あっ、パソコンの名前?」
 「い、いかにも名前なのです」
 「勝手に使ってごめん。大会規約を確認したら、すぐに返すよ」

 「い、いいこと思いつきました。せっかくジョセフィーヌの前にシットダウンしているのですから、私のしたためた貴重な大正ロマン漂う少女マンガ連作集を読んでみてはいかがでしょうカーッ、とかナンとか。遠慮しないでいいんですけど」
 デレる部長を無視して、恵が大きなため息をついた。
 「思った通りだ。カオリン先生、大事なところ読み落としてるよ。参ったなあ」
 「ほえ?・・・メグちゃん???」

 そこへ、唯がやって来た。
 「おはようニャンコ~♪」
 「唯ちゃん。なんで、おはようニャニャンコッ?もう午後のおやつの時間だよ?」
 「おやおや?すばるんは、芸能界の常識を知らないのかな?アイドルは顔を合わせたら、いつでも『お・は・よ・う』。それが清く正しくキュートなごあいさつなの」
 「なるほど~っ!そういうものなんだ。さすが芸能界っ!」
 ほえ~っと合掌するすばるに適当な作り笑顔を見せた後、唯はパソコンの前でうなだれる恵に話しかけた。
 「メグミン。マシンのデザインの相談がしたいんだけど」
 「唯~っ。やばいよ。デザイン以前に、大会に出場できるかどうか・・・」
 「えっ?どういうこと?」
 恵の肩越しに、唯がパソコン画面をのぞき込む。
 そこには「学生フォーミュラ選手権」に関する詳細が記されていた。

 唯が、ここぞとばかりのアニメ声で読み上げ始める。

 「えーと、本大会は、10月の3日間にわたり・・・・・・

 ・・・・・・高等専門学校・大学・自動車大学校などに在籍する学生チームが、自作フォーミュラカー(電気自動車に限定)で200kmを走行し順位を競うレースである。
 (ただしレースが70分を超えた場合は、その周を最終ラップとする。)

 本大会の開催目的は、学生に本格的なものづくりの機会を提供し、次世代のクリエイティビティを養うことを第一義としている・・・・・・」

 理解しているのか、いないのか。
 とにかく、すばると部長は「うん、うん」と唯の朗読を聞いている。

 「それで、メグミン。何が問題なの?」
 「唯。ここ見てよ」
 「・・・参加チーム15組、ドライバー30名?・・・あれ、チーム数よりドライバーの人数が多いニャンコ??」
 「そう!そうなんだよ!『30÷15=2』・・・つまり大会にエントリーするには、1チームに二人のドライバーが必要ってこと」


 ・・・・・・んん???????????


 思わず見つめ合う、すばると部長。
 「ふえ~っ!期待してもムリだよ~!わたし、分身の術とか使えないって!」
 「わ、私だって運転なんてムリですけど。期待されても困るデスから」

 「そんなこと、誰も期待してないよ」
 呆れ顔の恵が腕を組んで、大きくため息をつく。
 「エントリーに関しては、顧問のカオリン先生にお任せだったから。ドライバーの人数なんて、まったく気にしてなかったんだよなぁ・・・」
 「メグミン、よく気がついたね♪」
 「昔、兄貴が大会に出場した時は、たしかドライバーは二人だったって聞いてさ。急に不安になったんだよね」

 「ふえ?メグちゃんのお兄さんって、レースしてたんだ?」
 「まあね。兄貴のことはともかく、大会規約の話をカオリン先生にしないと。あの人の大雑把な性格から考えて、絶対わかってないよ」

 ふいに、唯がイラついた口調でつぶやく。
 「こんな時に、中嶋エリーゼさんは何をしているのかしら?」

 「あ、あの・・・さっきから、ここに・・・・・・すみません」
 「天才セナ様も、すっかりシッカリいますわよ」
 どうやら唯がアニメ声で気持ちよく大会規約を読み上げている途中、いかにもエリーゼらしい控えめなドア開閉で入室していたらしい。
 不意を突かれた唯は、とっさに防御用のキツいアニメ声で言葉を返す。
 「いればいいのよ、いれば・・・。べ、別に遅いからって、心配していたワケじゃないから」
 「ちょっと唯。そのツンツクデレリンなしゃべり方、やめてくださる?わたくし、虫唾が走りますの。まるっとゲロッと真っ逆さまに、あのラティだかラッキョだかっていう旧式ヘッポコ・ナビを思い出してしまいますですわ。トンデモ不愉快、なおかつフラストレーション大爆発ですの」

 その時、ふいに。
 かわいらしいのに、どこか凛とした声が響き渡った。
 「そこの小学生!いいかげんになさいよ!誰がラッキョですって?」
 「こ、このべらぼーにイヤミったらしいクソ生意気なおマヌケ声はっ!」

 「あんたより百万倍もステキなインターフェース。ラティ様よっ」

 秘密の部屋の壁がシュルシュルッと開く。
 そこには、いかにも偉そうにポーズを決めるラティの姿・・・。
 さらに中央のフォーミュラカーから、ヘッドマウントディスプレイを装着した謎のドライバーが現れた。
 片手にはブサかわいいネコのぬいぐるみ・・・?

 「ふえ~っ!サキャットくんだぁ!」
 「すばる!サキャットくんって?あの怪しいドライバーの名前?」
 「違うよ、メグちゃん。サキャットくんはネコちゃん。旧富士サーキットのマスコットキャラクターだよ」
 謎のドライバーが楽しそうに笑う。
 「はい、せいか~い!すばるさん、よく覚えていたわね」
 「その声・・・まさかサトミカ理事長?」
 恵のすっとんきょうな声と同時に、ドライバーがヘッドマウントディスプレイを外した。
 「恵さんも、せいか~い!みんな、元気してる?サトミカだよーっ!」
 「サトミカ理事長!元気とかどうでもいいんです。今はそれより深刻な問題が・・・」

 理事長が、からかうように聞く。
 「それって二人目のドライバーのことかな?」
 「もう!わかっているなら、どうにかしてくださいよ!入学前、全員に適性検査をしたんですよね?すばるの他にドライバー候補はいないんですか?」
 「いるでしょ、あなた達の目の前に」
 部室内をくまなく見渡しても、該当する人物はどこにもいない。
 「サトミカ理事長、ふざけないでください!」
 すると理事長は満面に笑みを浮かべて、平然と言い放った。

 「ほら、こっち。見て見て!なんと、もう一人のドライバーは私なのでーす♪」

 ☆※?▽※!!※□□#※#○!!!!?


 「あなた達、私を誰だと思ってるの?」
 「ふえ???」
 「サトミカは、我が富士女の理事長よ。部活を盛り上げるために優秀な生徒を編入させるくらい、朝めし前ってこと♪わかるかな~?」

 恵が怪訝そうに聞き返す。
 「つまりサトミカ理事長は、レーシング部のドライバーをやるために、自分で自分を編入させたってことですか?」
 「ピンポーン!大正解っ!」
 「大学はどうするんですか?」
 「うちの大学、ダブルスクールOKなの。エヘッ♪」
 「まったく・・・なんで、そんな面倒くさいことを・・・?」
 「だって、やりたかったんだもーん♪今日みんなが来たら、壁を開けてさっそうとお披露目しようと思ってたの。そしたら、なんかドンドン話がダークな方向に進んでいくじゃない?飛び出すタイミング外しちゃったワケ。でも、結果的にはメチャいい感じの登場だったでしょ♪」
 「はあ????」

 もはや半ギレの恵を見て、ひたすら怯えるエリーゼ。
 すかさず部長は、エリーゼの青白い横顔のスケッチを始めて。
 唯は、ブサかわいいサキャットくんに釘づけ。
 そして、セナとラティの火花散る攻防をよそに、鼻歌まじりにお茶の用意をするすばる・・・。

 「まったく、やってらんないよ・・・。みんな、自由すぎでしょ!」

 「ホント、自由すぎるわよね」
 いつの間に来たのか、香里先生がドアにもたれて恵を見ていた。
 「でも、こういうの楽しくない?」
 「楽しいっ!」
 目をキラッキラに輝かせて、すばるが叫ぶ。
 「ふえ~っ、カオリン先生。ナイスタイミング!一緒にお茶しよっ!」
 「する、する。あら、この香りは・・・ピーチティーね」
 「うん。ほんのり甘くて美味しいんだ」
 ほわ~っとした顔で、すばるが恵にマグカップを渡す。
 「はい、メグちゃん。難しいことは後にしようよ。お茶が冷めちゃう」

 神妙な顔つきでマグカップを受け取った恵が・・・

 「プププッ!」

 いきなり吹きだした。

 「やばい!なんかもう、よくわかんないけど。バカバカしすぎて笑えてきた~っ」

 「それよ、それ!恵さん。人生なんて、所詮バカバカしいことだらけなのよ。ドライバーが少し老けた女子高生だからって、何の問題があるって言うの?私のショックに比べたら、そんなのかすり傷みたいなものよ。ねっ、エリーゼさん!聞いてよ。先週の日曜日に初恋の彼が結婚しちゃったの~!忘れもしない、あれは幼稚園のジャングルジムの上。彼は私に、こう言ったの。『香里ちゃんのことは、僕が守ってあげる』・・・なのに、なぜ?なぜ、約束を破ってあんな若い女と結婚を~???・・・うううううっ、ティッシュ!テイッシュよ、エリーゼさん・・・ううううううううっ」
 「か、香里先生・・・しっかりなさってください・・・・・・」
 「ぶわああああああああああああーっ!」

 エリーゼに香里先生のお守りを任せて、ティーブレイクに突入したレーシング部。
 怒りが一周半回ってすっかり毒の抜けた恵を中心に、マシンのデザインプランで盛り上がる・・・はずが、急に唯が甲高い声を上げた。
 「あれれ?部長?ベレー帽はどこニャンコ?」
 すばる以外の全員が、部長の頭部をシゲシゲと見つめる。

 「み、みなさん。もしや今の今まで、私の頭についてナーンにも気づかなかったとか?」

 「レーシング部の一大事に、部長のベレー帽なんて見てられないよ」
 「だよね、恵さん。そもそも、サトミカ的には一人美術部に特に興味ないし~」
 「唯も!唯も!」

 「み、みなさん。なぜに私に無関心なんですかーーーーっ!私、私わぁ!部長なんですけどーーーーーーーっ!泣きます、泣きますから。もう泣いちゃいますからっ。エリーゼさんのお膝で泣きじゃくりますからーーーーーっ!」

 「ダメーッ!エリーゼさんは、私の相談役なのよ~。ぶわああああああっ!」
 「ぶ、部長さん・・・香里先生・・・・。あの、私、どうすれば・・・・・・」

 「エリーゼさん。カオリン先輩と一人美術部は、二人で泣かせておけばいいのよ。あなたも、こっちでお茶しましょ」
 「あ・・・はい」

 (それにしても・・・理事長が女子高生って、やっぱ無理あるよなぁ・・・。)
 かすかな疑念が、部員それぞれの脳裏に浮かびつつ。
 「ま、いいか」と、マイペースにお茶を飲む午後。

 もう少しだけ他人のことを気にするようになれば、チームワークはさらに素晴らしくなるに違いないのだけれど・・・。

トップに戻る