第3話『青春ドライブはキラッキラ?』
(あ、さ・・・?)
スローロリスのような、まったりした動きで。すばるは、ベッドサイドの球形の時計に手を伸ばした。
(まだ午前5時か・・・ふわぁ~・・・・・・)
ちなみに、スローロリスというのは、マレー半島やボルネオ島に棲むのんびり屋さんのサル。絶滅を危惧されているレッドデータアニマル。
すばるの脳内は、スローロリスの情報が入る隙間もないほど、懐かしい夢のエネルギーで満たされていた。
(久しぶりに見たよ。キラッキラの夢・・・キら・・・・・・・き・・・ら・・・)
いい一日になりそう、と思いながら二度寝したのが、そもそも大きな間違いだった。
「すばる!いつまで寝てるの?」
「んん・・・もう少し~・・・・・・」
すばるママが、ため息まじりに布団を引っぺがす。
「寝ぼけてないで、さっさと起きなさい。もうすぐ8時になるわよ」
「ママ、なんで起こしてくれなかったの~!」
「起こしたわよ、何度も、何度も。声が枯れるくらいね」
ゴホッと咳き込みながらも、精一杯ハスキーな声を出すママ。
「ふえ~っ!遅刻!ちこく!学校、遅れる~!」
「ちょっと、すばる。ママの名演技を無視しないでよ。この声出すの、けっこうノドに負担かかるんだから~」
「声がどうかした??風邪?」
「もぉ~。入学早々、遅刻しそうな娘の心を和ませてあげようとするママの優しさを1ミクロンも理解しないなんて。パパそっくり・・・。やんなっちゃうわ」
「ふえ?」
「ママのような生まれながらのエンターティナーには、この家は悲しすぎる。すばるのバカーッ」
「???・・・ママ、今朝もテンション高いなあ~。じゃなくて、遅刻!遅刻!」
そんなこんなで、すばるは速攻で身支度を整えて家を飛び出した。焼きたての厚切りトーストをしっかり握りしめて・・・。
ようやく校門前にたどりついた時、ホームルームのチャイムが爽やかに鳴った。
ママの名演技に気づかなかった罰なのか・・・時間は残酷だ。
「ふえ~。アウトか~。でも、クヨクヨしてても仕方ないっ。とりあえず、ここでトースト食べてから教室に行こうっと。いっただっきまーす」
「あらあら、おいしそうだこと」
「そう、そう。冷めてもおいしいんだ~、このトースト。ナントカの塩と、ナントカ小麦と、ナントカ酵母でできてる高級食パンだもんね・・・て?ふえっ?」
すばるが振り返ると、腰に手を当て仁王立ちポーズを決めた香里先生が睨んでいた。
今朝みたいな白衣の時も、超絶個性的すぎる私服でも・・・この人のオレオレな空気は、見事に変わらない。
「なんだ~、カオリン先生。ビックリさせないでくださいよぉ」
「ビックリしたのは、こっちよ。校門のカギを締めに来たら、優雅に朝ゴハン食べてる生徒がいるんだもの。そもそも月曜日から遅刻って、どういうこと?」
「ご、ごめんなさいっ。夢がキラッキラで、つい・・・」
「キラッキラ?」
とりあえず自分を落ち着かせるためなのか、香里先生が大きく深呼吸した。
「まあ、いいわ。覚えておきなさい。うちは女子校だから、登校時間を過ぎると安全のために門を閉めちゃうの。私が戸締りの係でラッキーだったわね」
「ほんと、ラッキーでした~」
「ラッキーとか言ってる場合じゃなーい!」
「ふえっ?自分で『ラッキー』って言ったくせに・・・」
「なに?何か文句ある?」
すばるは思わず、ブルブルブルっと小刻みに首を横に振った。
「あなたねえ、犬の行水じゃあるまいし。はぁ・・・。とにかく、こんなところでトースト食べてるのを町内の人にでも見られたら大変!我が母校・伝統の富士女の名にキズがつくでしょ。いったん保健室にいらっしゃい」
「もごもご・・・ふぁ~い」
「こら!食べるのは、保健室に着いてから!」
今朝の朝食は、高級食パンのトーストに保健室秘蔵のイチゴジャムをオン。さらにちょっぴりハイグレードなインスタントコーヒー(香里先生の私物?)。
ちょうど食べ終わる頃、香里先生が口を開いた。
「すばるさん。たしか、キラッキラの夢とか言ってたわよね?」
「はい。すごーくキラッキラだったんです」
あまりにシンプルなおうむ返しに、香里先生が苦笑する。
「具体的には、どんな夢だったの?」
「えっと、それは・・・」
すばるが、まだ幼い頃。
公園の砂場で、一人で遊んでいた時のこと。
誰かに呼ばれた気がして振り向くと、そこには見たことのない世界が広がっていた。
公園の遊具、ベンチ、木々や草花。さっきまでと変わらないのに、何もかも違う。
すべてがひとつで、透明な光がキラッキラ輝いていて。
ただ幸せで、ママの抱っこのように温かい。
どれくらい時間が過ぎたんだろう。
友達がやってきて「すばるちゃん、遊ぼう」と声を掛けられた瞬間。
キラッキラの世界は、唐突に元の現実に戻った。
そんな不思議な体験を、もう一度味わいたい。
キラッキラの世界へ行きたい。
すばるの心の奥底にある望みが、何年かに一度、その夢を見せてくれる・・・。
「なるほど・・・キラッキラね」
「ほえ?カオリン先生、笑わないんですか?」
「どういうこと?」
「わたし、本当に行ったんです。キラッキラの世界に。でも、誰に話しても信じてくれなくて。この頃は自分でも・・・小さい頃に、ただ夢を見ただけなのかなって思ったり」
香里先生は答える代りに、すばるの頭をスッと撫でた。
「すばるさん、そろそろ一限目が始まるから行きなさい」
「はーい。ごちそうさまでした」
立ち上がって保健室のドアに向かうすばるに、香里先生が声をかけた。
「いよいよ今日からね」
「ふえっ?」
「部活よ!部活!」
「あっ!!!青春ドライブ・・・」
「そうそう、青春ドライブ。授業が終わったら集合よ」
そして、午後3時半。
うたた寝で一日の学業を乗り切ったすばるは、校内をグル~ッと一周して、ようやく部室を見つけた。
(ふえ~?ここ?・・・たしかに『レーシング部 部室』って書いてあるけど。)
富士女の敷地内の片隅。今のきれいな新校舎ができる前に、旧校舎の物置として使われていた古~い平屋の建物なのだとか。
たしかに広そうだけど、それ以外にどうにも長所が見つからない。
(この部室、バケサーみたいにゾクゾクッてする・・・。)
なんとなくドアの前でウロウロしていると、中から恵の声が聞こえてきた。
「うえっ!!!なに、これ!?」
思いきってドアを開けると・・・部屋中にホコリが舞っている。
「ク、クシュン」
ホコリに耐え切れず、申し訳なさそうにクシャミをしたのはエリーゼ。
「メグちゃん?エリーゼちゃん?」
「すばる。見てよ、この部室。とにかく汚い!」
「う、うん」
「まず大掃除しないと。なんにしても、今日ここで部活を始めるのは無理だよね?」
「クシュン」
「えーと・・・えーと・・・青春ドライブだから・・・・・・そっか!」
「すばる?」
「メグちゃん。エリーゼちゃん。いいこと思いついた!保健室に避難しようよ」
「すばる、ナイス!あそこはカオリン先生の帝国みたいなものだからね」
「クシュン・・・」
パンパンと制服のホコリを払って、すばる達はカオリン帝国へ向かった。
三人が保健室に着くと、香里先生が腕組みをして立っていた。
「遅ーい!あなた達が私を待たせるなんて、百万年×百万年は早い!」
「ふえっ?」
「カオリン先生。私達、部室に集合じゃなかったんですか?」
香里先生が、文句言いたげな恵の顔をのぞき込む。
「部室?あそこは、掃除しないと使えないでしょ」
「でも、保健室とも聞いていませんが・・・」
「あれ?そうだっけ?ま、細かいことはイイじゃん」
「クシュン・・・」
開き直ったカオリン先生の背後から、やたらフワフワした(なのに、なぜか鬼気迫る感じの)『気づいてオーラ』が漂っている。
というか、オーラだけでなく、しっかり顔をのぞかせている?
「ふえっ・・・あなた、誰?」
「あ、やっぱり気がついちゃった?唯くらい華があると、どこにいても注目されちゃうの。ごめんね。これ、生まれ持った才能だから。隠したくても、自分ではどうしようもないの。えへっ♪」
マシュマロっぽい笑顔。自分の可愛らしさを知り尽くしたポーズ。
しゃべりながら、さりげなく瞬きをはさみ込んでくるテクニックは、もはやプロのアイドル並みだ。
「えーと、それで~。そこのホワーンとした彼女が、唯の名前を知りたいんだよね?特別に教えちゃおっかな。唯はね・・・」
「クシュン・・・」
くしゃみごときに話の腰を折られて、マシュマロ女子の顔が凍りつく。
「エリーゼ、大丈夫?繊細だから、部室のホコリにやられちゃったのかな」
「・・・だ、大丈夫です。恵さん。すぐに治ると思います・・・クシュン」
「エリーゼちゃん、もしかして風邪かも?そういえば、うちのママも今朝、声がヘンだったし。流行ってるのかなあ?カオリン先生、保健室って風邪薬ないの?」
「ほ、本当に、もう大丈夫ですから」
マシュマロ女子が、取ってつけたように会話に加わる。
「唯も心配だなあ~。あなた、大丈夫?」
「は、はい」
「よかった。じゃあ、改めて自己紹介しちゃうよ」
サービス過剰のウィンクにあ然とする恵。マシュマロ女子は、そんなことは気にも留めず自己紹介を決行した。
「本田唯でーす。運命的にはアイドルになる予定なんだけど~。カーデザインのセンスも飛びぬけてるから、捨てがたい・・・。そんな感じで、ちょっぴり未来にとまどう自動車整備科の新一年生でーす。よろしくニャンコ♪」
「カーデザインってことは、唯ちゃんも青春ドライブの仲間・・・ワンコ?」
「うふっ。唯もレーシング部だよ。でね、でね。唯に合わせてニャンコとかワンコとか、かわいく言わなくてもいいからね。唯のにゃんはね、必要に応じて天から降りてくる『ナチュラル・アイドル語』なのでーす」
「ふえ~。なんか、よくわかんないけど・・・唯ちゃん、すごーい!」
「えへっ♪」
香里先生が「はい、そこまで」とストップをかける。
すばる達が旧富士サーキットに集合した、あの日。唯は、どうしても外せない急用ができて欠席したらしい。
何かのオーディションがあった、というニュアンスではある。・・・が、ハッキリ言わないところを見ると、結果は不合格??
改めて全員の自己紹介が済むと、恵が香里先生に質問した。
「唯の担当はデザイン・・・。じゃあ、自動車工学科の私はメカニック全般ってことでいいんですよね?」
「それについては、旧富士サーキットで説明しなかったかしら?」
「全然してません!」
「レーシング部の活動内容については?」
「全然まったく聞いてません!!」
「やだ~。歳取ると忘れっぽくなるのよねえ・・・って。恵さん、なに言わせるのよ。私、まだピチピチだし!現役バリバリだし!」
何の現役なのか誰にも突っ込まれないように、香里先生はすぐに説明を始めた。
「わがレーシング部の主な活動は、学生フォーミュラ選手権に出場すること。みんなも知っての通り、電気のモーターを動力としたフォーミュラーカーの大会よ」
「ふえ~?」
みんながうなずく中、すばるだけがポカーンとしている。
「いきなり優勝!と言いたいところだけど、現実的に考えると難しいでしょ。まず今年は、完走を目標にしようと思うの。恵さん、どうかしら?」
「賛成です!三年間かけて、確実に優勝をめざすのがベストだと思います」
香里先生が、ウン、ウンと微笑む。
「恵さんはモーター・エンジニア。唯さんは車体エンジニア。電子情報課のエリーゼさんにはプログラマを引き受けてもらうつもりよ。それから・・・あら?今日はセナさんは?」
「あ、あの・・・なんだか機嫌が悪くて・・・・・・すみません。次からは、必ず」
「いっそ、彼女のプログラム書き換えちゃう?」
「い、いえ。それだけは・・・大事な友達なので・・・・・・」
「まあ、いいわ。セナさんには、ドライバーのパートナー役をしてもらう予定なの。エリーゼさんから、ちゃんと説得しておいてね」
「は、はい・・・」
「それから最後に、すばるさん」
その場の全員の視線が、すばるに注がれる。
「あなたがドライバーよ」
「ほえ~っ!わたし??・・・ありえないですぅ」
すばるの『ありえない』という言葉に合わせて、恵が大きく、そしてエリーゼが遠慮がちにうなずく。
「ねえ、すばるさん。私、前にも聞いたことがあるの。キラッキラの世界のこと」
「ほえっ・・・?」
「昔、レーシング部のドライバーだった子が言ってたの。大会でひたすら走って、走って。勝つことすら忘れたその先に、キラッキラの世界があるんだって」
「・・・!!!」
「今朝のあなたの話を聞いて、適性検査に間違いはなかったと確信したわ。すばるさん。夢じゃなくリアルなキラッキラの世界を・・・一緒にめざしましょ」
「ふ、ふぁい☆」
すばると固い握手を交わすやいなや、香里先生が高らかに命令した。
「ということで、まずは。全員で部室掃除よ!」
学生フォーミュラ選手権への道のりは、まだまだ険しく、何よりホコリっぽいのだった。