- 担当
- ドライバーサポートシステム
- 血液型
- 俗物には理解されない高尚な性格なので「AB型」と本人が決めている
内気なエリーゼが「自分の憧れ」として組んだ思考AI。気位が高く、お嬢様気質。歯に衣を着せないので、時に毒舌。実は子供っぽいことを気にしている。エリーゼが大好きで、健気にエリーゼを守りたいと思っている。都合が悪いとフェードアウトする。
203X年、春。リケジョの花園(?)「私立富士工業女学院」では、新理事長がみずから指揮をとり、いわくありげなプロジェクトが始動した。
そんなことはツユ知らず、ほわーんと入学した星野すばるは、なぜか理事長の呼び出しを受ける。指定された場所は、かつてのレースの聖地「旧富士サーキット」。 そこに集まった新入生たちに告げられたのは・・・・・・
「あなたたちは今日からレーシング部員」
という、理事長の決定。「なんで?」と疑問をはさむ余地もない。思考AIのセナも加わり、いきなり新生レーシング部がスタートを切った。静岡県の豊かな自然を舞台に、ゆるく、アツく、かわいらしく・・・すばるたちの部活デイズが始まろうとしている。
内気なエリーゼが「自分の憧れ」として組んだ思考AI。気位が高く、お嬢様気質。歯に衣を着せないので、時に毒舌。実は子供っぽいことを気にしている。エリーゼが大好きで、健気にエリーゼを守りたいと思っている。都合が悪いとフェードアウトする。
日本とイギリスのクォーター。豊かな内面世界を持つ寡黙な美少女。人間よりコンピューターと仲良し。自分の思いを言葉に出す勇気が持てず、従順な良い子として振る舞ってしまうことが多い。一番の友達は思考AIのセナ。
自分の可愛らしさを自覚している、キャピキャピ女子。小さい頃からチヤホヤされ、自然に甘えん坊キャラを身につけた。将来の夢はアイドル。一見、女子の敵に見えるけれど、思いやりがある。意外に物事が見えていて、時には地味な努力もする。
レーシング部で唯一、物事を合理的に考えることができる才女。部活のリーダー的存在。クールに見えて、実は内面にピュアな心を秘めている。兄弟の影響を受け、小さい頃から自然にクルマ好きに。将来も自動車業界で仕事がしたいと思っている。
私立富士工業女学院レーシング部が全盛期の時代に活躍した思考AI。旧型でセナよりも機能は少ないが基本性能は高い。すばる達が部室にあったフォーミュラカーの電源を入れたとき発見され、かつての部員の仲間、香里先生と感動の再会を果たす。
女子大生の起業家。通称サトミカ。経営難の母校・富士女を、勢いと出来心で買収。新年度から理事長に就任した。好奇心旺盛で行動力バツグン。レーシング部OGとして部の再生を楽しんでいる。
中学時代にネットで視聴した「魔法黙示録ダークルマター ~超絶ミルキーウェイ編~」にハマり、クルマとダーク魔法という二大ウィルスに冒されてしまった、自称・魔法少女。「超絶宇宙神カアク様」の命により、リュージョのレーシング部に入部した。
イギリスにある姉妹校からの交換留学生。「日本文化」「大和撫子」に憧れて来日したはずが、なぜか怪しい関西弁を身につけてしまった。クルマ好きで目立ちたがり屋なのに、スピードが苦手。留学当初は茶道部に所属していたが、正座に耐えられずレーシング部に移籍。持ち前の自由すぎるクリエイティビティを発揮して、部内を活気づけて(?)いる。
星野すばるは、スーパーヘヴィ級の重い足取りで歩いていた。
203X年度、私立富士工業女学院の入学式翌日。会ったこともない理事長に、イキナリ呼び出されちゃったのだ。
「ふえ~っ(>_<) わたしってば、入学早々、何やらかしたっけ~?」
指定された場所は、旧富士サーキット。通称バケサー。かつては数多くの国際レースが開催されてレースの聖地と呼ばれた場所。でも今となっては、静岡県美山町の原野にボヨーンと広がる壮大な廃墟にすぎない。
モデル体型の成人女性の歩幅で、富士女から約十五分。バリバリ徒歩圏内とはいっても、なんでわざわざ廃墟に呼び出し???
すばるのスーパーライト級の知恵で推し量ろうとするのは、とうてい無理で。何の答えも見つからない。
「うわーん。もう、理由なんてどうでもいいし。とにかく行きたくないよぉ!だって、バケサーのバケはオバケのバケ。出るってウワサなんだもん。こわすぎるよぉ~」
「・・・とか言ってるうちに、着いちゃった」
まったり歩いても、しょせんは徒歩圏内だし。距離の近さは、どうしようもない。
すばるの目の前に、魂の抜け殻みたく打ち捨てられた旧富士サーキットがボヨーンと広がる。
正面ゲートのボードには、不愛想に書かれた赤い文字。時の流れに洗われて、ところどころ消えかけている。
「ふえ?・・・立人林上?」
「なワケないでしょ。立入禁止だよ。た・ち・い・り・き・ん・し」
すばるの背後、約二十五度の上から目線で、いかにも姉御風の呆れ声が聞こえた。
声の主はサクサクすばるを追い越し、正面ゲートに張られた太いロープをひょいと越えて。平然と(立人林上じゃなくて)立入禁止の旧富士サーキット内に侵入した。
「ふえ?・・・あ、あれ?・・・えっと、んんん?」
「何ボサッとしてんの?キミも呼び出されたんでしょ?」
「えっ・・・?」
すばるは、声の主をまじまじと観察した。
スラッとした長身に長い髪。羨ましいくらい凹凸のあるナイスバディは、いかにも憧れの上級生な感じで。富士女の制服を着ていなかったら、高校生には見えない。ハキハキした口調とのギャップがカッコよくて、思わず見とれちゃう。
「来ないなら置いてくよ」
「あ、行きます!行きます!」
慌ててロープをまたごうとした、まさにその時。
すばるの周りの景色が、突然スローモーションになった。
「あ、れ、れ、せ、か、い、が、さ、か、さ、ま、に?」
ド・・・テ・・・・・・!
足をロープに引っ掛けてコケたすばるを、ナイスバディ先輩がとっさに身をかがめて抱きかかえた。
「大丈夫?」
「ふ、ふぁい。なんとか・・・」
「キミって」
「ふえ?」
「小動物みたいで」
「・・・?」
「かわいい!」
ナイスバディ先輩が、すばるをムギュッと抱きしめた。
「ふえ~~~~!」
いまや、すばるの顔はナイスバディ先輩の豊満な胸の谷間に全面的に埋め込まれている。
すばるの「ふえ~」を堪能しきったナイスバディ先輩は、急に腕をほどいた。
「ダメダメ。こんなことしてる場合じゃなかった。行くよ、小動物。いざ、理事長から呼び出しを受けたピットへ」
「えっと・・・行き方わかりますか?」
「任せなさい!」
すばるは、ナイスバディ先輩の一歩後ろをついて行くことにした。抱きしめられないように、少し距離を取りながら。
「あの、先輩」
「先輩?何言ってんの?私、新一年生だよ」
「えっ・・・ホントに?てっきり先輩かと思ったよ。えっと・・・」
「豊田恵。メグでいいよ。キミは?」
「すばる。星野すばる!」
「ふうん。すばるか・・・。キミって、名前もかわいいんだ」
「ふえっ!」
目を見開いて放心するすばるを見て、恵が楽しそうに笑う。
「すばる、いいキャラしてるよ!・・・あれ、そういえば?さっき私に、何か言おうとしてたよね?」
「あ、うん。メグちゃんが知ってるか聞きたかったんだ。今日、呼び出された理由」
「知らないよ。理事長から大事な話があるって担任に言われただけ」
「そっか」
「でも、不思議な予感がするんだ。こう、なんていうか背筋がゾクゾクッてするような」
「バ、バケサーでゾクゾク・・・?」
「違う、違う。いい感じのヤツだよ。私のゾクゾクは」
いつのまにか並んで話しながら、メインスタンド手前の地下道へ。入り口から漆黒の闇が顔をのぞかせる。ひんやりとした冷気が、いかにもバケサーっぽい。
「こ、ここ・・・降りるの?なんか、悪い意味でゾクゾクするんだけど・・・」
「地下道を通らないとピットへは行けない。うちの兄貴が、そう言ってた」
なんで兄貴?という疑問は、この際、横に置いといて。
背後からかすかに差し込む自然光を頼りに、長い階段を下る。コン、コン。足音だけが小刻みに響く。
小さな踊り場を二つ過ぎて、地下通路に降り立つと。遠くにかすかな出口の光・・・。薄明りの中に、ぼんやり人影が浮かんだ。
「ふえ~っ!出た~~っ!」
すばるは、思わず恵にしがみついた。
「あの・・・すみません。何が出たんですか?」
「オ、オバケ、オバケがしゃべった~っ!し、しししししかも、声がかわいいよ~」
「こら、すばる。しっかりなさい。彼女はオバケじゃないよ。その証拠に足がある」
「でも、でも、足なんて霊力でどうにでもなっちゃうよ~」
「うっ・・・そう言われると・・・・・・」
的外れなやりとりの隙間をぬって、オバケ少女がかぼそい声を出した。
「あ、あの・・・お二人は理事長さんに呼び出されたんですよね?」
「そうだけど?」
「遅いから、もしかして・・・迷っているのかと思って・・・・・・」
「てことは、私達を迎えに来てくれたんだね。ありがと」
「い、いえ。私はただ、見てくるように言われただけで・・・」
オバケ少女は、恥ずかしそうにうつむいた。ここまでシャイだと、もし本物のオバケだったとしても、きっと世渡りに苦労するはず。
勇気を振り絞って、人を驚かしてはみたけれど。その後、果てしのない罪悪感に襲われて「ごめんなさい、ごめんなさい」と、つぶやきながら夜露に消えちゃうタイプだ。
「で、とりあえず地下道を抜ければいいんだよね?」
「いえ、途中にある関係者専用の出口から、そのままピットに行けます」
「そうなんだ!まったく兄貴ときたら、教え方が中途半端だし」
「ご、ごめんなさい。私、何か変なこと言いました?」
「あ、違う、違う。こっちの話。よし、行こう。でも、その前にまず・・・」
恵は、自分にへばりついたままのすばるを引っぺがした。
「オ、オバケ・・・バケ・・・・・・・バケ・・・・・・」
「ほら、すばる。シャキッとなさい」
「シ、シャキッ」
カチンコチンのすばるを見て、オバケ少女が一瞬クスッと笑った。
「ねえ。キミも新入生だよね?名前は?」
「あ・・・私・・・・・・あの・・・中嶋エリーゼ・・・です」
「私は恵。で、この固まってる子は、すばる。よろしくね」
エリーゼは、少しうつむきかげんに小さくうなずいた。
「みなさん、こちらです」
地下道から枝分かれした関係者用出口を抜けてピットへ。サーキットのコースを挟んで、メインスタンドの真正面。ひとことで言えば四角い空間だ。
そこには英国王室特注品かと思わせる、いかにも高級そうなツバ広の帽子にサングラス、パンツ姿の年齢不詳の女性が、偉そうに腕組みをして立っていた。
アゴをグイッと突き出した表情は『イライラしてるぜ』と言わんばかりで。足先でカツカツ、小刻みに床を鳴らしている。
ファッションに大枚はたいているのは一目瞭然。お金持ち(⇒⇒)つまり理事長?
個性的なアイテムを、あまりにも自由に――つまり好き勝手に組み合わせて――堂々と着こなす度胸・・・。これはもう、究極のオレオレ気質と見て間違いない。
オレオレ理事長が、グイッと笑顔を作ってエリーゼに声を掛けた。
「みんなの案内、サンキュ」
「は、はい」
すばる、恵、そしてエリーゼを一人一人マジマジと眺めた後、オレオレ理事長は明るく言い放った。
「なんかメンバー足りない気がするけど、ま、いいってことにしちゃうか」
誰が足りなくて、何が、ま、いいのか・・・。さっぱりわからない。
「あの。ちょっといいですか」
恵が、オレオレ理事長にシャキッと話しかけた。
「私達、イマイチ話が見えてないんですけど。なんで呼び出されたんですか?」
「レースに出場するためよ」
オレオレ理事長が、仁王立ちポーズで高らかに宣言した。
「ふえ?レース?・・・レースって、あのビューンって走るレース????」
「当たり前でしょ。だから、士気を高めるために、わざわざ旧富士サーキットに呼び出したのよ。ワンピースの裾でヒラヒラしてるレースなワケないじゃん」
ビックリしすぎてフリーズしたすばるの隣りで、恵が小さくガッツポーズをする。
「やった!富士女に入って大正解!」
恵の言葉に、オレオレ理事長がニヤリとする。
「んじゃ、改めて。ここに富士女レーシング部、再始動を宣言する!でもって、あなた達は、入学試験でこっそり実施した適性検査で選ばれた精鋭チームなの。新生レーシング部へようこそ」
「ふえ~~っ!何それ・・・?再始動がレーシングでワンピース?ワケわかんないよ~」
「ワケわかんなくてもいいの!私がやるって決めたんだから、あなた達もやればいいでしょ!」
「ふえ~~っ!」
フリーズしたままのすばるには目もくれず、オレオレ理事長はエリーゼに視線を向けた。か弱いエリーゼは、まるでライオンに睨まれたウサギのように体をすくめている。
「あなた、中嶋エリーゼさんよね?」
「・・・はい」
「担任に連絡しといたはずだけど、友達、連れて来てくれた?」
「・・・・・・」
「あらら?連れてこないと、いきなり退学になったりして」
エリーゼが唇をかみしめる。
「あーっ、ごめん。冗談よ、冗談!」
「・・・・・・連れてくるというか・・・・・・あの子とは、いつも一緒なんです」
「んじゃ、さっそく呼んでちょうだい。彼女は、我がレーシング部にどうしても必要な人材なの。私が決めた以上、絶対よ。絶対」
ようやくフリーズの解けかけたすばると、またもや話の見えなくなった恵がポカーンとしている間に、エリーゼは真新しい学生カバンを開けて。小型パソコンと、手のひらサイズの懐中電灯風の端末を取り出した。
何やらカシャカシャ入力した後、怪しい懐中電灯のスイッチを入れると。
「ふえ~~!やっぱ出た~~!!」
コックピットの中央・・・。懐中電灯の光の代わりに浮かび上がったのは、実体を持たない美少女だった。
懐中電灯もどきの謎の道具から、ほわわわーんと。効果音もなく現れた幻影少女は、すばるをキッと睨みつけた。
「いったいぜんたい、何が出たっていうのかしら?」
どう見ても女子高生じゃない。むしろランドセルやらジャングルジムやら、現役小学生アイテムが似合いそうなお年頃?
しかも、この子。誰もそんなこと言ってないのに「子供だと思ってナメんじゃないっ!」という空気をビンビン放ってる。・・・と、半ば冷静に分析する恵。
でも、睨まれた張本人のすばるは、とてもそんな余裕はなくて。目をパシパシ閉じたり開けたり、こすったり。
「ふえ~っ・・・人間の言葉、話せるんだ・・・・・・?」
幻影少女は、いかにも呆れちゃう~という表情で両手を頬に当てた。
「よもや、まさか、このわたくしが言葉を話せないとでも思いましたの?愚の骨頂ですわ」
やれやれ~と、ため息をついて。今度は大企業の社長風に腕組みをしつつ、すばるを軽蔑のまなざしで見る幻影少女。
やたらリアクションが多いのは、実在感を出すために違いない・・・。さらに冷静になった恵が推測を働かせているうちに、幻影少女⇒すばるへの饒舌な辛口トークが再開した。
「あなたがトンデモ低レベルの超ヘッポコ野郎だということは、この数秒でハッキリわかりましたわ。天才エリーゼの手によって生み出されたわたくし・超天才セナ様をナメたりしたら、古今東西こんりんざい許しませんことよ。このウスラトンチキ!ベーッだ!」
「ふえ?・・・・・・トンキチ??」
「メグちゃん、トンキチって誰???」
恵が苦笑する。
「トンキチじゃなくてウスラトンチキ。今のすばるみたいに、ホゲーッて顔してトンキチとトンチキを聞き間違えるような人のこと。だよね?セナ?」
「ま、まあ、百歩譲って。そういう解釈もできなくはないですわね」
不意打ちで名前を呼ばれた幻影少女=セナが、ちょっと照れた表情で答える。性格が悪いわけじゃなくて、ほんの少しだけ態度が上から目線なだけ?
「あーっ、なるほど。ホゲーッな感じってことなんだ」
「すばる?あのさ、わかってるよね?決して、いい意味じゃないからね?」
「そっか。そう言われてみれば、たしかに・・・」
口出しする隙間を見つけられず、奥ゆかしく困り続けていたエリーゼが、意を決したようにかぼそい声を出した。
「あ、あの・・・」
「ふえ?」
「星野さん、ごめんなさい。さっきから、セナが失礼なことばかり・・・」
「なぜ、エリーゼが謝る必要ありますの?失礼なのはトンキチの方ですわ」
「セナ・・・どうして、そんな言い方・・・・・・」
「いいよ、いいよ、エリーゼちゃん。私、気にしてないから」
「でも・・・・・・」
すばるがエリーゼに笑いかける。ホニャホニャでホゲーッとしていて。おひさまのような笑顔・・・というよりも、おひさまの光で溶けかけたアイスに近い感じ?
「それより、エリーゼちゃん。呼び方なんだけど」
「・・・・・・?」
「星野さんじゃなくて、すばるでいいよ。友達だもん。ねっ?」
「あ、ありがとう。富士女で初めてのお友達・・・すごく嬉しいです。星・・・いえ、すばるさん」
仁王立ちポーズでひたすら会話を聞いていたオレオレ理事長が、いきなりパン!パン!パン!と手を打った。
「はい。そこまでーっ」
??・・・・・・!?・・・・・・・!!!
こんなにもキャラの濃い人物を、しばし忘れていたなんて。全員が無意味な罪悪感に捉われつつ、オレオレ理事長を見た。
「なんだかんだ会話が弾んで、そこそこ友情も芽生えつつあり・・・い~い感じに青春がドライブしてきたわね」
「ふえっ?ドライブ?なんでドライブ・・・・・・?あーーーーーっ!」
「す、すばる?急にどうした?」
「そういえば・・・これってレーシング部の集まりだったんだ~」
セナがツインテールをざっぱざっぱ揺らしながら、首を大げさに横に振る。
「まったく、そんな基本のキまで抜けちゃってるなんて。星野トンキチはおバカ丸出し野郎ですわね」
「セ、セナ・・・トンキチさんじゃなくて、すばるさんよ」
「ちょっと、エリーゼ。それじゃ、注意するところズレてるし」
恵のツッコミを完全無視して、セナが駄々っ子のように訴える。
「親友のわたくしと、今日出会ったばかりのトンキチと。エリーゼは、どっちの味方ですの?」
「え・・・?」
とまどうエリーゼから目線を外し、そのままセナはスッと消えてしまった。
慌てて懐中電灯をピシャピシャ、シャカシャカ。挙句の果てには、魔法のランプ方式でさすり始めたエリーゼ。でも、セナは、まったく現れる気配がない。
「・・・セナ・・・セナ?・・・・・・どうしましょう・・・」
「エリーゼちゃん。ごめんね。なんか、私がセナちゃん怒らせちゃったみたいで」
「い、いえ。あの子、意外に人見知りみたいで。決して、すばるさんのせいでは・・・・・・」
うろたえるエリーゼと対照的に、オレオレ理事長はニヤニヤしている。
「来てる、来てるわ、この感じ。いきなり超チョー青春?これでこそ我がレーシング部よ。萌えるわぁああ!」
「あの、理事長。ガッツポーズの途中で申し訳ないですけど。私達、この状況をどうすればいいんですか?」
淡々と質問する恵を見て、オレオレ理事長が大声で笑い始めた。
「はあ?えっ?なになに?理事長って、私のこと?」
「違うんですか?」
「やだーっ!おなか痛い。面白すぎて、おなか痛すぎる~!」
「じゃあ、あなたは一体・・・?」
オレオレさんは、帽子のツバをクイッとあげてサングラスを外した。
「この顔、見覚えないかしら?」
「ふえ~っ。そんなこと言われても・・・何かヒントがほしいよ。せめて三択問題なら、わたしだって答えられるのに~」
「いいわよ、選ばせてあげる」
あーっ、また話の焦点がズレた。頭を抱える恵にウィンクしつつ、オレオレさんが天高く指を突き立てる。
「イチバン~、富士女出身のハリウッド女優。ニバン~、富士女出身のスーパーモデル。サンバン~、富士女出身の・・・・」
「あ・・・・・・」
選択肢が出揃う前に、エリーゼが遠慮がちに手を挙げた。
「あの・・・先生、ですよね?保健室の」
「ピンポーン。さすがはエリーゼさん。よくわかったわね。はい、正解のご褒美」
オレオレさんは、ポケットの中から緑茶ポリフェノール入りのキャンディを一粒取り出すと、エリーゼの手に無理やり握らせた。
「それじゃ改めて。私は、養護教諭の石橋香里。で、今年度から、晴れてレーシング部顧問になりました。生徒からは、愛と尊敬を込めてカオリン先生って呼ばれることが多いかな。入学式の後、教員紹介で私が華麗なスピーチしたの覚えてない?」
「ああっ、そういえば。保健の先生の話だけ、やけに長かったような・・・」
香里先生が恵をジトッと見る。
「いえ、なんでもないです。えーと、私が言いたいのは・・・白衣姿とはあまりに印象が違うから、気づかなかったということで。そもそも富士女のホームページにも入学式にも理事長の姿がなくて、どんな人か知らないし。今日の大胆なファッションから推察して、てっきりカオリン先生が理事長だと思ったんです」
「やだ~。私の着こなしって、そんなにセレブっぽいかしら。恵さん、褒・め・す・ぎ」
「いえ、特に褒めたつもりはないんですけど・・・。てゆーか、カオリン先生が養護教諭なら、理事長はどうしたんですか?」
恵の的を射た質問が終わるか終らないかのうちに。キュイーンという微音と共に、ピットの真正面に一台のEV・・・つまり電気自動車が止まった。
「遅くなってしまいました。ごめんなさーい。わっ!キャーッ!」
すばる達の目の前。ロードスターのドアに自分のスカートをはさんでジタバタしているのは、ごく 普通の女子大生風お姉さん。必死でスカートを引っ張っている。
車のドアを開ければ済むのに「なんでやねん」とツッコミたくなるのを、必至でガマンする恵。エリーゼに至っては、ひたすらオロオロしまくり。
「えいっ!・・・あ、破けた・・・・・・スカート破けちゃった・・・カオリン先輩~、破けました~」
「まったくサトミカは、あいかわらずだよねえ。いくら負けず嫌いだからって、ドアとまで戦うことないのに」
「ですよねえ。困ったものです。えへへっ」
女子大生(?)サトミカの頭を軽く小突いた香里先生は、すばる達の方に向き直った。
「はい。みんな正解。その通りよ。でもゴメンネ。もうキャンディないの」
何がその通りなのか。それ以前に、誰もキャンディをくれなんて言っていない。
でも、そんなことはすべてスルーして。香里先生のマイペースな話が続く。
「そうなの。なぜか、そうなのよ。あなた達が思っている通り、こちらが理事長。佐藤実花ちゃん。かつて富士女のレーシング部で、私の後輩だったサトミカよ」
理事長は「てへっ♪」と、かわいらしく小首を傾げた。
「ただいまご紹介に預かりました~、サトミカでーす。カオリン先輩の口車に乗せられて、今年から理事長やっちゃうことにしました~。よろしくね」
あまりにも意外な理事長の登場に、すばる達はポカーンとしたまま突っ立っている。
「ほら、みんな。理事長にあいさつ!」
香里先生の掛け声で三人が声を揃えて・・・のはずが、てんでバラバラにしゃべり始めた。これはこれで息が合っている、と言えなくもない。
「口車に乗せられて、今年から理事長って・・・どういう意味ですか?」
「ふえ~っ。理事長とカオリン先生、レーシング部だったんだ?」
「あの・・・サトミカさんて・・・・・・もしかして・・・」
理事長は楽しそうにクスッと笑った後、なぜかウーンと大きく伸びをした。他人の評価を気にしない自由人タイプ?
「あのね、耳は二つあるから一度にみんなの話を聞ける。でも残念ながら私、口は一つしかないんだよねえ。なので、とりあえず私の半生をまとめた拙書『案ずるより走るがサトミカ』を読んでちょうだいね。て、ちゃっかり宣伝しちゃったし。えへへっ」
「あ・・・やっぱり・・・・・・」
エリーゼが、めずらしく大きな声を出した。大きな声と言っても、香里先生のノーマルボイスと比べて約35%程度のエネルギー消費量だけど・・・。
「あの・・・私、読みました。電子書籍ではなく、ハードカバーで」
「まあ、ありがとう。今度、あなたの買った本を持ってきて。今の時代、あまり紙の本買う人いないでしょ。私、サインしたくてたまらないの~」
エリーゼの頼りない説明プラス香里先生のオレオレな補足によれば。理事長の正体は起業家として大成功している女子大生なのだとか。
母校の経営危機のウワサを聞きつけて、ドカーンと思いきりよく買収!そして、すたれてしまったレーシング部を復活させるべく、香里先生とタッグを組んだということらしい。
「ふえ~っ!なんか、すごい」
「うん。スケールはメチャ大きい。でも・・・」
恵がチラッと理事長を見る。破れたスカートを気にしている?というより面白がってイジって、さらに被害を拡大しているとしか思えない。
「ま、いいや。私はレースに関われるならナンでもOKだから」
その時、理事長が間の抜けた声で叫んだ。
「キャーッ、大変~。もうこんな時間?友達の会社設立パーティーに遅れちゃう~」
「でも、サトミカ。そのスカートでパーティー行く気?大丈夫なの?」
「平気ですよ、カオリン先輩。個性的なイージーオーダーってことで通しちゃう。それじゃ、みんな、よろしく。また遊びに来るからね~」
スピーディなのか、ドンくさいのか?いまひとつ性格の計り知れない理事長が、のろまな疾風のように走り去ったあと。香里先生が、にこやかに宣言した。
「ということで、さっそく来週から活動開始よ!ウズウズするわぁ♪」
いまだ疑問符だらけではあるけど・・・。とにもかくにもピット内には、いい感じに青春がドライブしそうな予感がそれなりに溢れていた。
(あ、さ・・・?)
スローロリスのような、まったりした動きで。すばるは、ベッドサイドの球形の時計に手を伸ばした。
(まだ午前5時か・・・ふわぁ~・・・・・・)
ちなみに、スローロリスというのは、マレー半島やボルネオ島に棲むのんびり屋さんのサル。絶滅を危惧されているレッドデータアニマル。
すばるの脳内は、スローロリスの情報が入る隙間もないほど、懐かしい夢のエネルギーで満たされていた。
(久しぶりに見たよ。キラッキラの夢・・・キら・・・・・・・き・・・ら・・・)
いい一日になりそう、と思いながら二度寝したのが、そもそも大きな間違いだった。
「すばる!いつまで寝てるの?」
「んん・・・もう少し~・・・・・・」
すばるママが、ため息まじりに布団を引っぺがす。
「寝ぼけてないで、さっさと起きなさい。もうすぐ8時になるわよ」
「ママ、なんで起こしてくれなかったの~!」
「起こしたわよ、何度も、何度も。声が枯れるくらいね」
ゴホッと咳き込みながらも、精一杯ハスキーな声を出すママ。
「ふえ~っ!遅刻!ちこく!学校、遅れる~!」
「ちょっと、すばる。ママの名演技を無視しないでよ。この声出すの、けっこうノドに負担かかるんだから~」
「声がどうかした??風邪?」
「もぉ~。入学早々、遅刻しそうな娘の心を和ませてあげようとするママの優しさを1ミクロンも理解しないなんて。パパそっくり・・・。やんなっちゃうわ」
「ふえ?」
「ママのような生まれながらのエンターティナーには、この家は悲しすぎる。すばるのバカーッ」
「???・・・ママ、今朝もテンション高いなあ~。じゃなくて、遅刻!遅刻!」
そんなこんなで、すばるは速攻で身支度を整えて家を飛び出した。焼きたての厚切りトーストをしっかり握りしめて・・・。
ようやく校門前にたどりついた時、ホームルームのチャイムが爽やかに鳴った。
ママの名演技に気づかなかった罰なのか・・・時間は残酷だ。
「ふえ~。アウトか~。でも、クヨクヨしてても仕方ないっ。とりあえず、ここでトースト食べてから教室に行こうっと。いっただっきまーす」
「あらあら、おいしそうだこと」
「そう、そう。冷めてもおいしいんだ~、このトースト。ナントカの塩と、ナントカ小麦と、ナントカ酵母でできてる高級食パンだもんね・・・て?ふえっ?」
すばるが振り返ると、腰に手を当て仁王立ちポーズを決めた香里先生が睨んでいた。
今朝みたいな白衣の時も、超絶個性的すぎる私服でも・・・この人のオレオレな空気は、見事に変わらない。
「なんだ~、カオリン先生。ビックリさせないでくださいよぉ」
「ビックリしたのは、こっちよ。校門のカギを締めに来たら、優雅に朝ゴハン食べてる生徒がいるんだもの。そもそも月曜日から遅刻って、どういうこと?」
「ご、ごめんなさいっ。夢がキラッキラで、つい・・・」
「キラッキラ?」
とりあえず自分を落ち着かせるためなのか、香里先生が大きく深呼吸した。
「まあ、いいわ。覚えておきなさい。うちは女子校だから、登校時間を過ぎると安全のために門を閉めちゃうの。私が戸締りの係でラッキーだったわね」
「ほんと、ラッキーでした~」
「ラッキーとか言ってる場合じゃなーい!」
「ふえっ?自分で『ラッキー』って言ったくせに・・・」
「なに?何か文句ある?」
すばるは思わず、ブルブルブルっと小刻みに首を横に振った。
「あなたねえ、犬の行水じゃあるまいし。はぁ・・・。とにかく、こんなところでトースト食べてるのを町内の人にでも見られたら大変!我が母校・伝統の富士女の名にキズがつくでしょ。いったん保健室にいらっしゃい」
「もごもご・・・ふぁ~い」
「こら!食べるのは、保健室に着いてから!」
今朝の朝食は、高級食パンのトーストに保健室秘蔵のイチゴジャムをオン。さらにちょっぴりハイグレードなインスタントコーヒー(香里先生の私物?)。
ちょうど食べ終わる頃、香里先生が口を開いた。
「すばるさん。たしか、キラッキラの夢とか言ってたわよね?」
「はい。すごーくキラッキラだったんです」
あまりにシンプルなおうむ返しに、香里先生が苦笑する。
「具体的には、どんな夢だったの?」
「えっと、それは・・・」
すばるが、まだ幼い頃。
公園の砂場で、一人で遊んでいた時のこと。
誰かに呼ばれた気がして振り向くと、そこには見たことのない世界が広がっていた。
公園の遊具、ベンチ、木々や草花。さっきまでと変わらないのに、何もかも違う。
すべてがひとつで、透明な光がキラッキラ輝いていて。
ただ幸せで、ママの抱っこのように温かい。
どれくらい時間が過ぎたんだろう。
友達がやってきて「すばるちゃん、遊ぼう」と声を掛けられた瞬間。
キラッキラの世界は、唐突に元の現実に戻った。
そんな不思議な体験を、もう一度味わいたい。
キラッキラの世界へ行きたい。
すばるの心の奥底にある望みが、何年かに一度、その夢を見せてくれる・・・。
「なるほど・・・キラッキラね」
「ほえ?カオリン先生、笑わないんですか?」
「どういうこと?」
「わたし、本当に行ったんです。キラッキラの世界に。でも、誰に話しても信じてくれなくて。この頃は自分でも・・・小さい頃に、ただ夢を見ただけなのかなって思ったり」
香里先生は答える代りに、すばるの頭をスッと撫でた。
「すばるさん、そろそろ一限目が始まるから行きなさい」
「はーい。ごちそうさまでした」
立ち上がって保健室のドアに向かうすばるに、香里先生が声をかけた。
「いよいよ今日からね」
「ふえっ?」
「部活よ!部活!」
「あっ!!!青春ドライブ・・・」
「そうそう、青春ドライブ。授業が終わったら集合よ」
そして、午後3時半。
うたた寝で一日の学業を乗り切ったすばるは、校内をグル~ッと一周して、ようやく部室を見つけた。
(ふえ~?ここ?・・・たしかに『レーシング部 部室』って書いてあるけど。)
富士女の敷地内の片隅。今のきれいな新校舎ができる前に、旧校舎の物置として使われていた古~い平屋の建物なのだとか。
たしかに広そうだけど、それ以外にどうにも長所が見つからない。
(この部室、バケサーみたいにゾクゾクッてする・・・。)
なんとなくドアの前でウロウロしていると、中から恵の声が聞こえてきた。
「うえっ!!!なに、これ!?」
思いきってドアを開けると・・・部屋中にホコリが舞っている。
「ク、クシュン」
ホコリに耐え切れず、申し訳なさそうにクシャミをしたのはエリーゼ。
「メグちゃん?エリーゼちゃん?」
「すばる。見てよ、この部室。とにかく汚い!」
「う、うん」
「まず大掃除しないと。なんにしても、今日ここで部活を始めるのは無理だよね?」
「クシュン」
「えーと・・・えーと・・・青春ドライブだから・・・・・・そっか!」
「すばる?」
「メグちゃん。エリーゼちゃん。いいこと思いついた!保健室に避難しようよ」
「すばる、ナイス!あそこはカオリン先生の帝国みたいなものだからね」
「クシュン・・・」
パンパンと制服のホコリを払って、すばる達はカオリン帝国へ向かった。
三人が保健室に着くと、香里先生が腕組みをして立っていた。
「遅ーい!あなた達が私を待たせるなんて、百万年×百万年は早い!」
「ふえっ?」
「カオリン先生。私達、部室に集合じゃなかったんですか?」
香里先生が、文句言いたげな恵の顔をのぞき込む。
「部室?あそこは、掃除しないと使えないでしょ」
「でも、保健室とも聞いていませんが・・・」
「あれ?そうだっけ?ま、細かいことはイイじゃん」
「クシュン・・・」
開き直ったカオリン先生の背後から、やたらフワフワした(なのに、なぜか鬼気迫る感じの)『気づいてオーラ』が漂っている。
というか、オーラだけでなく、しっかり顔をのぞかせている?
「ふえっ・・・あなた、誰?」
「あ、やっぱり気がついちゃった?唯くらい華があると、どこにいても注目されちゃうの。ごめんね。これ、生まれ持った才能だから。隠したくても、自分ではどうしようもないの。えへっ♪」
マシュマロっぽい笑顔。自分の可愛らしさを知り尽くしたポーズ。
しゃべりながら、さりげなく瞬きをはさみ込んでくるテクニックは、もはやプロのアイドル並みだ。
「えーと、それで~。そこのホワーンとした彼女が、唯の名前を知りたいんだよね?特別に教えちゃおっかな。唯はね・・・」
「クシュン・・・」
くしゃみごときに話の腰を折られて、マシュマロ女子の顔が凍りつく。
「エリーゼ、大丈夫?繊細だから、部室のホコリにやられちゃったのかな」
「・・・だ、大丈夫です。恵さん。すぐに治ると思います・・・クシュン」
「エリーゼちゃん、もしかして風邪かも?そういえば、うちのママも今朝、声がヘンだったし。流行ってるのかなあ?カオリン先生、保健室って風邪薬ないの?」
「ほ、本当に、もう大丈夫ですから」
マシュマロ女子が、取ってつけたように会話に加わる。
「唯も心配だなあ~。あなた、大丈夫?」
「は、はい」
「よかった。じゃあ、改めて自己紹介しちゃうよ」
サービス過剰のウィンクにあ然とする恵。マシュマロ女子は、そんなことは気にも留めず自己紹介を決行した。
「本田唯でーす。運命的にはアイドルになる予定なんだけど~。カーデザインのセンスも飛びぬけてるから、捨てがたい・・・。そんな感じで、ちょっぴり未来にとまどう自動車整備科の新一年生でーす。よろしくニャンコ♪」
「カーデザインってことは、唯ちゃんも青春ドライブの仲間・・・ワンコ?」
「うふっ。唯もレーシング部だよ。でね、でね。唯に合わせてニャンコとかワンコとか、かわいく言わなくてもいいからね。唯のにゃんはね、必要に応じて天から降りてくる『ナチュラル・アイドル語』なのでーす」
「ふえ~。なんか、よくわかんないけど・・・唯ちゃん、すごーい!」
「えへっ♪」
香里先生が「はい、そこまで」とストップをかける。
すばる達が旧富士サーキットに集合した、あの日。唯は、どうしても外せない急用ができて欠席したらしい。
何かのオーディションがあった、というニュアンスではある。・・・が、ハッキリ言わないところを見ると、結果は不合格??
改めて全員の自己紹介が済むと、恵が香里先生に質問した。
「唯の担当はデザイン・・・。じゃあ、自動車工学科の私はメカニック全般ってことでいいんですよね?」
「それについては、旧富士サーキットで説明しなかったかしら?」
「全然してません!」
「レーシング部の活動内容については?」
「全然まったく聞いてません!!」
「やだ~。歳取ると忘れっぽくなるのよねえ・・・って。恵さん、なに言わせるのよ。私、まだピチピチだし!現役バリバリだし!」
何の現役なのか誰にも突っ込まれないように、香里先生はすぐに説明を始めた。
「わがレーシング部の主な活動は、学生フォーミュラ選手権に出場すること。みんなも知っての通り、電気のモーターを動力としたフォーミュラーカーの大会よ」
「ふえ~?」
みんながうなずく中、すばるだけがポカーンとしている。
「いきなり優勝!と言いたいところだけど、現実的に考えると難しいでしょ。まず今年は、完走を目標にしようと思うの。恵さん、どうかしら?」
「賛成です!三年間かけて、確実に優勝をめざすのがベストだと思います」
香里先生が、ウン、ウンと微笑む。
「恵さんはモーター・エンジニア。唯さんは車体エンジニア。電子情報課のエリーゼさんにはプログラマを引き受けてもらうつもりよ。それから・・・あら?今日はセナさんは?」
「あ、あの・・・なんだか機嫌が悪くて・・・・・・すみません。次からは、必ず」
「いっそ、彼女のプログラム書き換えちゃう?」
「い、いえ。それだけは・・・大事な友達なので・・・・・・」
「まあ、いいわ。セナさんには、ドライバーのパートナー役をしてもらう予定なの。エリーゼさんから、ちゃんと説得しておいてね」
「は、はい・・・」
「それから最後に、すばるさん」
その場の全員の視線が、すばるに注がれる。
「あなたがドライバーよ」
「ほえ~っ!わたし??・・・ありえないですぅ」
すばるの『ありえない』という言葉に合わせて、恵が大きく、そしてエリーゼが遠慮がちにうなずく。
「ねえ、すばるさん。私、前にも聞いたことがあるの。キラッキラの世界のこと」
「ほえっ・・・?」
「昔、レーシング部のドライバーだった子が言ってたの。大会でひたすら走って、走って。勝つことすら忘れたその先に、キラッキラの世界があるんだって」
「・・・!!!」
「今朝のあなたの話を聞いて、適性検査に間違いはなかったと確信したわ。すばるさん。夢じゃなくリアルなキラッキラの世界を・・・一緒にめざしましょ」
「ふ、ふぁい☆」
すばると固い握手を交わすやいなや、香里先生が高らかに命令した。
「ということで、まずは。全員で部室掃除よ!」
学生フォーミュラ選手権への道のりは、まだまだ険しく、何よりホコリっぽいのだった。
のどかな春の午後。
保健室の時間は、約23時間56分でひとまわりする地球の自転を無視して、好き勝手にまったりと進んでいた。
「結局、エリーゼちゃん今週ずっと休みだね。明日は来るかなあ?」
「すばる。おせんべい食べるかしゃべるか、どっちかにしないと・・・ほら、膝の上にこぼしたよ」
「ふえ~・・・3秒ルール発動~。ひ♪ろ♪い、グイ~~~ン♪」
「うっ!やられたっ!ズキュンと来た!すばる、かわいすぎーっ」
恵がムギューッと、すばるを抱きしめる。
「メ、メグちゃん。おせんべい食べられない・・・てか、息、苦しい・・・」
「こーら!すばるさん、恵さん!なんで保健室のおせんべい食べながら、リア充よろしくジャレあってるのよ。それ、超老舗の超高級品なのに。私が緊急事態に備えて用意してる保存食なのに~っ!」
「やだ、カオリン先生ったら。おせんべいみたいにカタいこと言わないでにゃん♪」
「オヤジ臭いギャグ言いながら、唯さんまで食べてるし。くっ・・・女子高生の食欲中枢・・・あなどれないわ」
香里先生が、やれやれという表情で腕組みをする。
「まあ、いいわ。おせんべいよりエリーゼさんよね。あの子、大丈夫かしら?」
「カオリン先生、お茶お代わりくださーい。濃いめのやつ」
ノーテンキなすばるのお願いをスルーして、香里先生がおせんべいに手を伸ばした時、保健室のドアがユルユルと開いた。
「みなさん、やっぱりここだったんですね」
「エリーゼさん!」
「香里先生、ご心配おかけしました」
「エリーゼちゃん、熱は?」
そばに駆け寄ったすばるが、おせんべいの粉にまみれた手でエリーぜのおでこに手を当てた。
「うん、うん。もう熱はなさそうだね」
「あのクシャミはホコリのせいかと思ったら、マジで風邪だったなんて。保健室でイキナリしゃがみこんだ時はビックリしたよ」
香里先生が、とりあえず教員らしい発言をする。
「今日も学校には病欠の届けを出したんでしょ。無理して来なくてよかったのよ」
「いえ・・・私がどうしても皆さんとお掃除したいからって、風邪が治るまで待っていただいたんですもの。授業はともかく、レーシング部には少しでも早く復帰したくて・・・」
「エリーゼ、私達に気を使わなくていのに」
「そうだよ、そうだよ~。掃除なら、きっとカオリン先生がやってくれるよ~」
「やりませんっ!」
みんなのやりとりをジッと聞いていた唯が、急に口を挟む。
「ふうん。意外。中嶋エリーゼさん、授業より部活が大事な人なんだ・・・」
「唯。せっかくエリーゼが来てくれたのに、そういう言い方やめなよ」
「あーっ、ごめんなさーい。悪気はないの。以後、気をつけまーす♪」
「だ、大丈夫です。私、気にしてませんから・・・・・・」
思いっきり『気にしています』という表情で、エリーゼがつぶやいた。
「はい、はい!青春の火花的なヤツは置いといて。せっかくエリーゼさんが来てくれたんだから、みんなで部室の掃除してきてちょうだい。ほら、すばるさん!いつまでも食べてないで、さっさと動く!」
「ふぁ~い・・・」
すばるが歩きながらおせんべいを完食した頃、ちょうど4人は部室前に着いた。
全員、体操着。恵の号令で、微粒子もシャットアウトする使い捨てマスク(保健室備品)着用。手には思い思いの掃除道具(保健室備品)。これで準備は整った。いざ、入室!
「ふえ?部室のカギ、ないんだ?」
「そうみたい。こないだも開いてたよね、エリーゼ」
「あ・・・はい。そうでしたね。香里先生につけていただかないと・・・」
恵、すばるに続いて入室した唯が、頭のてっぺんから吹きこぼれるようなスットンキョウな声をあげた。
「ナニ?ここ?伝説のゴミ屋敷的な・・・?唯達、ここ使うの?ありえなーい!」
「そっか。唯は入ったことないもんな。まあ、全員でやれば今日中には、どうにか格好つくよ。それじゃ・・・」
「あの・・・ちょっと待ってもらえませんか?」
エリーゼが、体操着のポケットから小さなキューブを取り出した。
「セナ、お願い」
空間にシュルッと浮かび上がったのは、例のツンデレ美少女。
「ごきげんよう。心優しいエリーゼが風邪なのにお掃除すると言ってきかないから、特別にこの天才セナがお手伝いしてさしあげるわ」
「セナちゃん、お久しぶり~。すばるだよ。覚えてる?」
「気安く話しかけないでくださる?トンキチがうつりますわ」
「ふえ~?トンキチがうつる~?メグちゃん、トンキチってうつるものなの?」
「トンキチがうつる、というのは・・・すばるのリズムに飲みこまれて、まったりしてしまう、という意味じゃない?だよね、セナ?」
「わ、わたくしがトンキチに飲みこまれるですって?トンキチときたら、どれだけ大喰らいなのかしら」
「てゆーか、メグミン。まだセナリンに唯のこと紹介してないけど、いいの?ねえ、いいの?」
「セ、セナリン????一体全体ナンですの?わたくし、そんなあだ名で呼ばれるほど子供じゃありませんわよ。ムッカムカのプンプクプリンですわ」
「え~?そうかなあ。唯は、かわいい名前だと思うんだけどなっ。セーナリン♪」
恵が自分の頭を押さえる。
「あーっ、もう。面倒な会話はおしまい。とにかく清掃開始!」
「は、はい・・・・・・」
「ところで、エリーゼちゃん。今日はどうして懐中電灯じゃないの?」
「あ・・・セナを呼び出す時のアイテムですか?いろんなバージョンがあるんです。その方が楽しんですもの。うふふっ」
「こら!そこ!私語は慎んで。唯とセナを見習いなよ」
そう言われてみれば、すでに唯は壁や窓のホコリを払っている。その後ろで、セナが「あっち、こっち」と指示を出している。
ムッカムカのプンプクプリンのわりに、コンビネーションはナカナカのもので。
その時。
ガサッ!
「きゃっ!唯、ビックリ~」
「な、なんですの?今の不審音。あたかもトンキチが寝ぼけてベッドからブチ落ちたようなダッサイ響きですわね」
「わたし落ちないよ~、たまにしか・・・」
恵が不審音の方向をジッと見つめる。
「あの壁際、机が積んである辺りだよね。もしかしたらノラネコかも。みんな、下がってて」
「は、はい・・・」
机の山に忍び寄る恵に向かって、黒い影が・・・!?
というか、ジタバタ慌てふためく女子高生が唐突に飛び出してきた。
「ひょえっ!見つかり~にょ~~!」
「はい??? それ何語? キミ、誰? ここレーシング部の部室だよ?」
「そ、そそそんな、わかりきったこと言わなくていいんですけどっ!」
「キミ、ここで何してたの?」
「ぶっ、部活。一人部活ですけど」
「はあ???」
つまずいた時、床に落としたベレー帽を拾うと、謎の女子高生は無意味にアタフタしながら、恵の足元に視線を落とした。飼い主以外には慣れない気弱な犬みたいだ。
「一人鍋とか一人焼肉とか一人カラオケとか、そういうニュアンスで一人部活があってもいいと思うんですけど」
「いや、ソコじゃなくて。なんで、この部室にいるの?」
「一応、レーシング部の部長なんですけど。それが何か?あ、あなた達こそ誰なんです?」
「私は新生レーシング部、新入部員の豊田恵。あと仲間達」
「メグミン・・・説明が大雑把すぎ~。なんか、唯がモブみたいになってるもん♪てか、部長さん。そのベレー帽、なに?なに~?」
「唯、ちょっと黙ってて」
「う・・・うにゃん」
数秒の沈思黙考の後、恵はニヤッと笑って言った。
「オッケー。イマイチ事情はわからないけど、掃除の手が増えたことは間違いない。ねえ、部長!」
「は、はい?」
「部長なんだから、もちろん率先して部室の掃除してくれるよね?」
「えーと・・・」
「するの?しないの?」
「ひぇ~!します、しますから。そんなコワい声出さないで~」
「それじゃ、話は後でゆっくり聞くとして。改めて清掃開始―っ!」
「もうすっかりシッカリやってますわよですわ。ねっ、ユイ」
「ねっ、セナリン♪」
性格のキツさとスピード感覚が共鳴したのか、セナと唯はすっかり打ち解けて、そそくさと掃除を再開している。
「め、めずらしいです・・・セナが私以外の人と、あんなに・・・」
「エリーゼちゃん?どうかした?この辺、一緒に掃除しよっ」
「あ、すばるさん。何でもないです・・・さあ、お掃除、お掃除・・・・・・」
そう言いながら、またもやエリーゼの手が止まる。
「恵さんて・・・すごいですね。私なら、あの部長さんの素性がハッキリわかるまで落ち着かなくて・・・掃除は後回しにしちゃうと思います」
「ふえ~?エリーゼちゃんは、一つ一つのことをキチンと片付けるタイプなんだね。わたしなんて、青春ドライブの仲間が増えて嬉しいな~と思っただけだったよ。ちょっと単純すぎ?」
「い、いえ。すばるさんの、そういう雑・・・いえ、心の大きさ・・・す、好きですよ」
「わーい!ありがと!わたしも、エリーゼちゃんダーイスキ!」
すばるの大声に、セナがビクッと反応する。
「星野トンキチ!負け犬の遠吠えみたいにウザうるさいですわよ。口より手を動かしなさいですわ!」
恵が、香里先生のようにパンパンと手を叩く。
「ほら、みんな。掃除に集中!部長、何か言ってやってよwww」
「みなさん、頑張りましょう。ゴールは近いですから!こ、こんな感じでどうでしょう?」
「うん、部長っぽくていい」
苦笑をこらえる恵のそばで、部長はベレー帽をキリリとかぶり直して、窓枠の細かいホコリを取ることだけに全身全霊を傾けている。
そんなことには目もくれず、一直線に自分達の掃除道をひた走るセナと唯。すばるとエリーゼだけは、あいかわらずのまったりトンキチペースで・・・。
それでも部長が大きなゴミ袋を6回目に捨てに行った頃には、ようやく部室が部室らしくなってきた。
「みんなーっ。調子はどう?」
「香里先生~~。手伝いに来るの、遅いですよぉ~。疲れた~!」
「あら、すばるさん。誰も手伝うなんて言ってないわよ。私は生徒の自主性を重んじる、理解ある教育者!口は出すけど手は出さない。わかる?」
「あーっ。なるほど~!」
「まったくトンキチときたら、底なしのおマヌケさんですわ。ごまかされやすさ宇宙ナンバーワンですわね」
「ふえ???ナンバーワンっていい響きだね」
犬猿のボケとツッコミを呆れ顔であしらって、香里先生が部長に視線を向ける。
「あら?なんだかワチャワチャしてると思ったら、ニューフェイス登場?えーと、あなた・・・」
「は、はい」
「誰?」
香里先生のひとことに、そこにいる全員があんぐりと口を開けてしまった。ただ一人、部長だけが体を硬くしてうつむいている。
「ひどい!保健の先生、ひどい!」
「えっ?私、世間では仏の香里って呼ばれてるんだけど?」
「忘れもしない。あれは一年前の春。この部室を使っていいと許可くれたじゃないですか~!」
「そういえば、なんとなくそんな記憶があるような、ないような・・・」
部長がベレー帽をシャキッとかぶり直した。
「あーっ!ベレー帽!・・・思い出したわ。あなた、一人美術部よね!?」
「現在の肩書きはレーシング部部長ですけど」
どうやら、名前だけレーシング部を名乗る・・・という条件で、一年前に香里先生が勝手に部室を貸していたらしい。
ということは計算上、部長はすばる達より上級生ということになる。
「やだ、すっかり忘れてたわ。私、小さなことにはこだわらないイタリアンな性格だから。それにしても、あなた。こんなズタボロでホコリまみれの部室で、よくも1年間マンガ描いてたわねえ」
「えっ?マンガ?」
恵が思わず声をあげる。
「ホコリなんて気にしないアーティスト気質の絵描きですけど、それが何か?」
なぜか、部長の呼吸が荒くなる。
「あのね、一人美術部さん。申し訳ないけど、この子達が本物のレーシング部を再生することになったの。だから、あなたには立ち退いてもらうことになるわね」
「い、いやです」
「えっ?」
「だ、だって私・・・ぶ、部長ですから。この部室、使う権利ありますから」
香里先生が『あらま』と大げさに驚きの表情を見せる。
「いいじゃないですか、カオリン先生」
「恵さん?」
「彼女は、今日もみんなの先頭に立って掃除してくれたし。レーシング部の部長・兼・応援団長ってことで。みんな、どうかな?」
みんながうなずくのを見て、香里先生が話をまとめた。
「はい。じゃ、それで決まりってことで。サトミカにも連絡しとくわ。部長、この子達全員、入学ホヤホヤだから。よろしく頼むわね」
「ラ、ラジャです!」
その時、ずっと黙りこくっていたすばるが突然叫んだ。
「ふえ~~~っ!やっと、わかった~~!」
「すばる?どうした?」
「部長さんは、絵を描く人だからベレー帽かぶってたんだ~~!」
(え・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?)
『この子ってリアルにトンキチかも?』と全員の心が一つにまとまって。ほんの数メートルくらい前に進んだ(気がする)春の夕暮れ。
次なるミッションは・・・保健でお茶のお代わりだったりする。
キラッキラ~♪ キラッキラ~♪ フフンフンフーン♪
放課後の部室。
すばるが鼻歌まじりにクッキーをつまんでいると、急に恵が立ち上がった。
「ねえ、すばる。私達、ものすごーく根本的に大事なことを抜本的に見逃してると思わない?」
「ふえ???メグちゃん、大事なことって?」
「うちの部の名前、知ってるよね?」
「もっちろん。レーシング部だよ~。メグちゃん、ナニ言ってるの?」
恵はため息をつきながら、すばるの頭をポンポンと軽く叩く。
「そう。スイーツ部じゃなくて、午後のティールーム部でもなく、うちはレーシグ部。なのに・・・・・・」
「なのに??????」
「なぜ、部室を使い始めて以来、毎日がおやつタイム!?」
すばるが屈託のない笑顔を見せる。
「カオリン先生が言ってたよ。レースはチームワークが大事だから、みんな早めにチャチャッと仲良くなっときなさい・・・って。うちのママによれば、一緒に何か食べるとコミュニケーションがうまく行くんだって。えっと、同じ釜のナントカっていうやつ??」
めずらしく論理的(?)なすばるの説明をぶっちぎるかのように、恵が言い放った。
「そのわりには、みんな、てんでバラバラでコミュニケーション取れてないし。今日だって、私とすばるの二人だけだし!」
「えっと、えっと・・・唯ちゃんは何か用事があるんだって」
「何の用事?すばるは聞いてる?」
「ああ・・・そういえば、なんだろう」
「じゃあ、エリーゼとセナは?」
「うーん・・・・・・わかんない」
恵が額に手を当てる。
「あれ?誰かもう一人、忘れてる気がするけど・・・ま、いっか」
「メグちゃん、なんか言うことがカオリン先生に似てきたね!」
「それ、嬉しくないかも・・・」
「まあ、まあ。メグちゃん。とりあえずクッキー食べて落ち着こうよ。このクッキー、か~わいいんだよっ。食べられる本物のお花が入ってるの♪」
「うん、ありがと・・・て、こんなことやってる場合じゃないんだった!とにもかくにも、わが部活・最大にして最悪の問題を解決しなければっ!」
きょとんと首を傾げるすばるの両肩を、ガシッとつかむ恵。
「すばる。よーく聞いてよ。うちはレーシング部なのに・・・」
「な?の?に????」
「クルマがなーーーーーーーいっ!」
・・・・・・・・・・えっ・・・??????????
「クッキーはあるのに、クルマがないんだよ、すばる!車!くるま!クルマーッ!」
「クルマは、メグちゃんと唯ちゃんが作るんじゃないの?」
「それはそうなんだけど。フォーミュラカーとなれば、とても一朝一夕では・・・」
「イッチョウ?イッセキ?」
恵が、すばるのまったり思考を振り払うように、サッと髪をかき上げる。
「普通のEV車なら、技術的に、さほど難しくはないからね」
「メグちゃん、すごーい!」
一瞬照れたものの、すぐ真顔に戻る恵。
「でもレースに出場するなら、それなりの準備をしないと。私も唯も入学したてだよ。いきなりゼロからレース仕様のフォーミュラカーを作るなんて・・・悔しいけど無理」
「そういうものなんだ・・・?」
「だいたい、この部室のどこでフォーミュラーカーを組み立てられる?もしかして私達、理事長とカオリン先生の超ダイナミックなジョークに乗せられただけなのかも」
すばるが目をまん丸にして恵を見つめる。
「ふえっ!そうなの~?でも、わたしね・・・。えっと・・・わたしは、それならそれでいいけどな。メグちゃん達と友達になれて、富士女ライフがメッチャ楽しいもん♪」
恵が無意味に、すばるを抱きすくめる。
「あ~。今日もかわいいなあ、すばる!」
「ふえ~っ」
「でも、すばる。私は、これだけじゃ満足できない。ジョークでもナンでもいいから、レースに出たいよ。それに、私にはよくわかんないけど・・・すばるだって、キラッキラの世界に行きたいんだよね?」
「うん・・・」
この世界のどこかに、きっとキラッキラの幸せ粒子だけでできている場所がある。
もう一度、そこを見つけて。そして、レーシング部のみんなと分かち合いたい。
一緒にキラッキラになりたい・・・と、すばるは目を閉じて、心の中で子供の頃のイメージを膨らませた。
でも、それは遠い蜃気楼のようで。
よく知っているのに、どうしても手の届かない異次元の夢に思えてしまう。
(ホントに行けるのかな、あそこへ。もう一度・・・)
腕をほどき、豊満な胸からすばるを解放すると、恵は部室のドアに向かってツカツカ歩き出した。
「すばる。悪いけど、今日は帰るよ。ここでクッキー食べてても、何も始まらない。カオリン先生から何か指示があるかと思って、この数日待っていたけど。みんなで仲良くしなさいってだけじゃ、納得行かない。そういうユルいのは私の性分に合わない」
「あ・・・うん」
「とりあえず、これから兄貴のところに寄って、あれこれ情報を収集してみる。で、明日にでも私からカオリン先生に相談して・・・大会までに何をどうするのか、具体的にプランを立てるよ」
「メグちゃん、兄貴のところって???」
「あ、気にしなくていいよ。それより、すばる。大会って、いつだっけ?」
その時、部室に置かれたパソコンの陰で、ベレー帽が揺れた。
「大会は秋。10月ですけど」
「ふえ~っ!」
「ぶぶぶ部長!いつから、そこに?」
部長がニュッと首を突き出して、つぶやいた。
「ずっと居ましたけど。授業は午後から自主放棄しましたから。ところで、美人で長身の方のあなた」
すばると恵が顔を見合わせる。
「美人で長身なのは、もちろん、そっちのあなたですけど」
いかにも人見知りというギコチない動作で、部長が上目使いに恵を見る。
「ぶ、部長としてヒトコト言わせていただくと・・・」
「はい?」
「クルマのことは、そこまで心配しなくていいかと思うんですけど」
恵が、やれやれと呆れ顔をする。
「部長、クルマについては素人だよね?部の具体的な活動は、私が責任を持って進めるから・・・部長は応援の方よろしく」
「そ、そういう話じゃないんですけど。あ、あのですね」
「また別の機会に聞くよ。とにかく今日は私、帰るから」
部室を出ていく恵を見ながら、部長が肩をすくめた。
「ふえ~。メグちゃん、帰っちゃった・・・」
怪しげなマンガ制作(?)の手を止めて、すばるの方へ歩み寄る部長。
「あの、私、少しばかり空腹なんですけど・・・」
「ああっ、部長さん。食べて、食べて。紅茶もあるよ」
クッキー片手に紅茶ポットのリーフが開くのを待ちながら、淡々とつぶやく部長。
「彼女、そんなに焦ることないと思うんですけどねえ」
「そうだよね~。大会が秋なら、まだい~っぱい時間あるし」
「いえ、いえ。そうじゃなくて・・・」
「ふえ??????」
その頃。
保健室でも、ちょっとした・・・いや、けっこう抜本的な大問題が勃発していた。
どうやら、トラブルメーカーは幻影少女で。生身の二人、エリーゼと香里先生に食って掛かっている。
「イヤですわ!ナニがナンでもナッシングですの。古今東西!金輪際!トンキチのパートナーなんて、ブルブルブルンのムッカムカのプンプクプリンMAX的にお断りですわよっ!」
「ねえ、セナ。どうして、そんなにすばるさんを目の仇にするの?」
「そ、それは・・・・・・どうしてもですわ!」
セナは思いきり頬をふくらませて。怒りをアピールしている。
すばるに敵対する本当の理由を、ごまかすかのように。
エリーゼが、申し訳なさそうに香里先生を見る。
「す、すみません。この数日、ずっとこんな調子で・・・。私では説得しきれないので、香里先生からセナにお話ししていただけませんか?」
香里先生が「ふぅ~」と腕組みをした。
「セナさん」
「な、なんですの?」
「いくら学生の大会といっても、フォーミュラカーを駆ってコースを周回するのは、並大抵のことではないの。すばるさん一人では無理。あなたも、そう思うでしょ」
セナが当然という顔で香里先生を見る。
「モチのロンロンですわ。トンキチに、そんな高度なテクと知能があるとは到底考えられませんもの。トンキチの才能のなさをズバリ見抜くとは、さすがですわ」
「そう、私はさすがなのよ。セナさん」
香里先生は、あごを突き出して腕組み&仁王立ちのまま話を続ける。
「そして、セナさん。あなたも、さすがよ。すばるさんにはカケラもないような素晴らしい能力を備えているんだもの」
「あ、あの・・・香里先生。そこまで言うと、あまりにすばるさんが・・・・・・」
「まったく、エリーゼさんときたら・・・。気配りしすぎなのよねえ。この場にいない人のことまで気にしてると、早く老けちゃうわよ。ほら、私を見てごらんなさい。若さの秘訣はスバリ、この傍若無人な性格の賜物なのよ~。ほーっほほっ」
「あ、あの・・・香里先生・・・・・・?」
「あら、やだ。ちょっと話が脱線しちゃったわ~っ」
しばしの沈黙を経て、再び香里先生の説得が始まった。
「と、とにかく!セナさんの卓越した解析力と理解力、そして未来の可能性の中から最善を選ぶ客観的判断力は、レースに欠かせない才能だと思うの」
香里先生の褒め言葉に気をよくしたのか、チラッとエリーゼの様子をうかがうセナ。
エリーゼが、うん、うん、と大げさにうなずく。
「だから、セナさん。ぜひとも、あなたにすばるさんの司令塔になってほしいのよ」
そっぽを向くセナにお構いなく、香里先生が言葉を続ける。
「ヘッドマウントディスプレイを通して、マシンの状態やレースの進め方を随時ドライバーに伝える。そして何よりドライバーの安全を守るという大切な役目をお願いしたいの」
「だーかーら!絶対絶命にイヤですのっ!」
聞き分けのないセナに対して、香里先生が急に威圧的になる。
「人に頭を下げない私が、プライドをかなぐり捨てて、ここまでお願いしているのよ」
「ふーんだ。さっきから頭など一度も下げられてはいませんですわよ?」
セナから視線を外した香里先生が、クールな声で言い放った。
「エリーゼさん!」
「あ・・・はい?」
「セナさん以上に素直でキュートな思考AIを、すぐさま創り出してちょうだい」
「あ、あの・・・香里先生、それはどういう意味でしょうか?」
「セナさんが協力してくれない以上、エリーゼさんに新しい親友を創ってもらうしかない。そういうことよ。セナさん、いいわよね?」
セナが文句を言おうとした瞬間、エリーゼが生まれて初めてかと思うほどの声をあげた。
「ダ、ダメです。セナ以外に・・・親友なんていりません。私、セナと一緒に部活がしたいんです・・・あの・・・・・ワガママでごめんなさいっ」
一瞬、エリーゼの声に振り向いたけれど。すぐに、そっぽを向き直したセナが、消え入るように小さな声でつぶやいた。
「じ、事務的になら・・・」
「えっ?セナさん?今、なんて言ったのかしら?」
いまだ仁王立ちの香里先生が、わざとらしく聞き返す。
「事務的になら、ほんの少しだけなら、やってさしあげても構わないって言ったんですわっ!」
「セ、セナ!本当にいいの?」
「トンデモ決して、トンキチを助けるためじゃないですわよ。あくまでも、エリーゼと一緒に部活をするためですの。だって、だって!わたくし、エリーゼのたった一人の親友なんですもの」
香里先生が、ホッとしたように笑う。
「とりあえずだけど、足並みが揃いかけたって感じね。セナさん、よろしく」
「ひ、ひとつだけ言っておきますわよ。今後、わたくしに頼みごとをする時には、態度を改めていただきたいですわっ」
「考えておくわ。ふふふっ」
ちょうど、その時。
ドタバタと保健室に入って来たのは・・・。
「ふえ~っ!カオリン先生~っ!」
「すばるさん?」
「なんかわかんないけど、なんか、すっごいことになっちゃってるよぉ~っ!」
「えっ・・・・・・?」
「ぶ、ぶぶぶ部室っ!部室っ!」
ほげーっと混乱したすばるに、これ以上の説明は望めない。
そう判断した香里先生は、エリーゼとセナを伴って、急ぎ足で部室に向かった。
ふえっふえに混乱したすばるが保健室に飛び込んできて数分後。
香里先生率いる青春ドライブな仲間達は、部室のドアの前に立っていた。
「と、ととととにかく・・・とてつもなく、ふえ~っなことになってるから、みんな落ち着いて、とにかく・・・」
「すばるさん!あなたが落ち着きなさい」
「ふえ・・・・・・」
「さ、て、と」
いつになく楽しそうに、仁王立ちの香里先生が微笑む。
事件だの諍いだの祭りだの犬も食わない痴話ゲンカだの、そういう類の面倒な騒ぎに首を突っ込みたくて仕方ない体質らしい。
「ほら、エリーゼさん。チャッチャと開けなさい」
「は、はい。すみません」
叱られた訳でもないのにペコッと頭を下げて、エリーゼがドアを開ける。
当たり前の顔でズカズカ一番乗りした香里先生が、いきなり大笑いを始めた。
「きゃーっはっは!なに、これ?ずいぶん派手に、やらかしちゃってくれたわねえ!」
いきなりの乱入者に驚いた部長が、とっさに自分の貧弱な体で隠そうとしたけれど。誰がどう見ても、壁のあちこちがボコボコに凹んでいる!
「ぐえーーーーーっ!保健の先生に見つかりーにょ~~っ!」
部長の右手にはカナヅチ、そして左手には糸ノコ。間違いなく現行犯だ。
「あ、あのですね。これにはワケがあるワケで・・・」
しどろもどろの言い訳を無視して、セナが叫んだ。
「ワンダホーですわ!とにもかくにも素晴らしいですわ!」
「・・・セナ?」
「エリーゼ、よーくご覧なさい。部長ってば、天才アーティストでしたのよ!この壁の、あたかも計算され尽くしたかのように滅茶苦茶な配置の凹み・・・穴を開けるほどのパワーもなく、中途半端なダメージを与えることしかできない愚かしい破壊行為にあえて身を任せる無意味さ。これは、もはや芸術ですわ!ヘッポコなマンガを描くドンくさいベレー帽のおマヌケづらは、世を忍ぶ仮の姿。実は諸行無常という壮大なテーマを世に問うゲージツ家だったんですわ!」
部長が恐縮しつつ、照れて壁の凹みにもたれかかる。
「いえいえ、そんなつもりではなかったんですけど。た、たしかに言われてみればアートに見えなくもないかもしれないような気もしますけど。3Dのあなた、けっこう人の才能を見抜く目があるというか・・・くふふふっ」
「はーい!自称天才同士の小芝居は、もう終わったかしら?」
自称なんてプンプクプンですわ~~っ!と叫ぶセナに構わず、香里先生がテキパキ話を引き継いだ。
「天才でも盆栽でも白菜でもいいけど。部長、あなた何がしたかったの?」
「そ、それは・・・この壁の向こう側に・・・」
香里先生の顔色がサッと変わった。
「なぜ、あなたが壁の向こう側の超ド級の秘密を知ってるの?」
「保健の先生!もしや、覚えてないんですか?」
急に勢いを取り戻した部長が、香里先生に食って掛かる。
「去年、この部室を使う許可をもらった時、さも自慢げに1時間近くも語り続けたクセに~っ」
「ああ・・・そういえば、かすかに記憶が」
香里先生が、あっけらかんと笑う。
「ま、いいじゃない。そんな古い話は。私達まだまだ若い!んだから、過去なんて振り返らず今を生きないと。ねっ!」
「ふえっ?香里先生?なんで『若い』ってとこだけ、声大きいの?」
「う、うるさいわねえ。すばるさん、あなたも壁みたいにボコボコになりたいの?」
「ふえ~~っ!」
進まない会話を黙って聞いていたエリーゼが、意を決して小さな声をあげた。
「あ、あの・・・それで・・・・・・」
「なに?エリーゼさんまで、私をオバサン扱いするの?どうせ、私はお肌のカサつく年頃よ。現役高校生じゃないもの。でも、でも・・・それがナンだってのよ!」
「い、いえ・・・そういうことではなくて・・・・・・」
「はあ??????」
「あの・・・部長さんが、なぜ壁をボコボコ叩いたのか、と・・・・・・」
すばるが元気に手を挙げる。
「それだよ、それ!わたしも、それが聞きたいっ。さっきまで一緒にクッキー食べてたのに、部長さん、急にどこからかカナヅチを出してくるんだもん。わたし、てっきり襲われるのかと思ったよ」
肌荒れを気にしつつ、香里先生がうなずく。
「なるほど。それで生命の危険を感じて、保健室に逃げ込んできたのね?」
「うん!うん!」
部長が、すばるを横目で見ながら唇をとがらせる。
「な、なんで私がクッキーもらったお礼に、あなたを襲うんですか?ありえないんですけど」
「仕方ないですわ、部長。トンキチときたら、物事の道理というモノが、古今東西コンリンザイさっぱりキッパリ理解できないんですわ」
「セナ。トンキチなんて、すばるさんに失礼よ」
「ふふっ。やってる、やってる。今日も実のない会話だニャンコ♪」
「ふえ~っ!唯ちゃん?用事でお休みじゃなかったの~?」
唯が、ちょっとお疲れ気味のアイドル・スマイルを見せる。
「・・・んん。思ったより早く終わったんだ、用事」
「そっか~!残念!もうちょい早かったら、おいしいクッキーあったのになぁ。そういえば、何の用事だったの?」
「えっと・・・・・・」
口ごもる唯の代わりに声をあげたのは、香里先生だった。
「あー、もう!そんなことより凹みよ、凹み!あなた達ときたら、すぐに脱線するんだから。なぜか今日は、ふだんにも増して建設的な会話ができない気が・・・あっ、恵さんだ!恵さんがいないから、会話がトンチンカンなんだわ」
いえ、それは若さにこだわる先生のせいです・・・とは、口が裂けても言えないエリーゼが小さくため息をつく。
「まあ、いいわ。あなた達を驚かせようと思ったけど、バレちゃったモノは仕方ない。そうよ、その通り。この部室の秘密というのは、そういうことなの」
いつも通りの暴走トークで香里先生が勝手に話を進め始めつつ、バシッと壁に手を当てた。すると、部長のカナヅチに耐え続けた健気な壁が、音もなくスライドして・・・。
その奥に、秘密の部屋が現われた!
「いくら叩いても開かないわよ。だって、この扉は指紋認証なんだもの。私とサトミカの指にしか反応しないようになってるの」
「ふ~~え~~~っ!」
秘密の部屋は、まるでラボのようで。中央には、グレーのシートをかぶせた大きな物体が・・・。
「ロボット?ロボットだよね?グイーーーンてなるヤツ!」
「ホントのホントにシンの底からトンキチはトンキチですわね。レーシング部の部室に眠る巨大な物体といえば、ずばりフォーミュラカーに決まってますわよ」
「ふえっ!なるほど~!セナちゃん、賢いーっ!部長さんがメグちゃんに、クルマのことは心配いらないって言ってたのは、こういうことだったんだ!」
「いかにも!一応、私、部長ですから。秘密の部屋のこと、保健の先生に自慢されて何となく知ってましたから」
香里先生が、華麗にマントを操る闘牛士のようにシートをシュルリと外した。
そこにいた全員が思わず体を乗り出して、息をのむ。
端正なフォルム。一点の曇りもないボディ。
クルマ音痴のすばるにすらハッキリわかる、存在感ありすぎのフォーミュラカー。
「ふえふえふえ~っ!キラッキラーッ♪」
「我がレーシング部の全盛期に、私達が作ったマシンよ。あ、作った・・・というのは正確じゃないかも。ベースを作ってもらって、改造したっていうのが正しいかしら」
「すごーい!カッコいい!本物ニャンコ♪これ、唯達も使っていいのかな?」
「もちろんよ。かわいい後輩達のために残しておいたんだから。それに、走らせないなんてマシンがかわいそうでしょ」
愛おしそうに(手汗がつくのも気にせず!)マシンにふれる香里先生。
周りをグルッとチェックする唯と、それを遠巻きに見つめるエリーゼ。セナは腕を組みながら複雑な表情を見せる。そして部長は、壁を凹ませたことはすっかり忘れて、いつの間にかマシンのスケッチを始めている。
すばるが何気なく、マシンの座席に置いてあるヘッドマウントディスプレイを手に取った。その瞬間・・・。
「ふわぁ・・・目が覚めちゃったじゃない!もう少し優しく起こせないのかしら?」
かわいいくせにトゲトゲしい女の子の声が響いた。
「ラティ?・・・ラティなのね?まだ、ちゃんと機能していたんだわ!」
香里先生が、すばるの手からヘッドマウントディスプレイを素早く奪い取った。
「ラティは・・・えっと、なんて言えばいいかしら。私達が現役部員だった頃の仲間で、ナビゲーション通信用インターフェイスなの。エリーゼさん、ラティを今ここで映像化できるかしら?」
「あ、はい・・・やってみます・・・・・・」
エリーゼが、ヘッドマウントディスプレイと部室のパソコンを代わる代わる操作すること十数分。秘密の部屋に、ラティが姿を現した。
怒ったような、そのくせ照れたような表情。まさにツンデレ少女そのものだ。
「まったく、香里はお節介なんだから。誰も起こしてほしいなんて頼んでないでしょ」
「ラティ!また会えて嬉しいわ」
「また会えて・・・?私、そんなに長い間、眠ってたの?」
「まあね」
ラティは、新生レーシング部のメンバーを見渡して首を傾げた。
「この子達、誰?サトミカは?他のみんなは、どうしたの?」
「あなたが眠ってる間にみんな卒業して、今はこの子達がレーシング部員なの」
「ふうん・・・ということは、香里はもうオバサンなのね」
「う、うるさい!また眠らせるわよ!」
ラティは楽しそうにクスッと笑うと、もう一度全員を見た。
「ドライバーは誰?」
すばるが、おずおずと手を挙げる。
「ラティちゃん、よろしく。星野すばるだよ」
「ふうん。すばるって言うんだ・・・。べ、別に、あんたがどうしてもって言うのなら、レースのナビをしてあげても構わないけど?」
返事に困っているすばるに変わって、香里先生が説明をする。
「ラティ。今回はもう、別の子にお願いしてあるの。私達のレーシング部が解散した時、あなたも消えてしまったと思ってたから・・・」
「他の子に頼んだ?私が消えたと思ったから?・・・冗談はやめてよ。私の代わりが務まる子なんて、いるわけないでしょ」
ここまで黙って様子をうかがっていたセナが、もう我慢ならないという顔で話に割って入った。
「ちょっと、ちょっと、ちょーっと!そこの超絶旧式ナビゲーション野郎、お待ちなさいですわ。トンキチのパートナーは、不本意ながら、この天才AI・セナがすでに引き受けましたの。ポンコツ・インターフェースがしゃしゃり出る幕はありませんですわ」
「だ、誰がポンコツですって?小学生のくせに威張らないでちょうだい」
「ヘッポコ、ポンポコ、ベロベロベーッ!ですわ」
「香里!この口の悪い小学生、どうにかしなさいよ」
香里先生とエリーゼが、二人をなだめかけた時。それまでオロオロしていたすばるが、すっとんきょうな大声を出した。
「ラティちゃん!セナちゃん!わたしのためにケンカするのは、やめて~っ!」
はぁ・・・・・・??????
全員が一瞬、耳を疑った。
これは単に新旧の幻影少女としてのポジション争いであって、ラティもセナも『すばるのため』なんて、ひとっかけらも思ってもいないのに。
「まあ、でも・・・そういうボケたところが、すばるさんの取り柄よね。ふふふふっ」
香里先生につられて、唯もキュートに笑う。
「すばるん、面白すぎだしーっ♪」
「ふえ???」
ほわーんとしたすばるの顔を見て、ラティがため息をつく。
「あーっ、なんかバカバカしくなっちゃった。いいわ、香里。とりあえず、その小学生にやらせてみてよ。どうせうまくナビゲーションできずに、最後は私に泣きつくことになるんだから」
「ふーんだ!わたくしが旧式野郎に泣きつくなんて、天上天下唯我独尊ありえませんですわ!」
「はい、はい。とりあえずは解決ってことね。ところで」
と、香里先生が部長を睨みつける。
「えっ?な、ななななにか?保健の先生が私にご用とか?」
「壁の修理・・・どうしてくれんのよ!」
「ぐほーーーーーっ!」
後ずさりする部長の首根っこを香里先生が押さえ込む。
「お金の代わりに、体で払ってもらおうかしら」
「いえ、私・・・そういう趣味ないですからーーーっ」
「やだ。あなた、何を想像してるの?掃除よ、掃除!」
「へっ?」
「一か月間、部室と秘密の部屋の掃除を一人で全部やりなさい。それで許してあげるわ」
「えーと。これは、ありがたや~・・・なのでしょうか???」
ありがたや~!と、掃除部長に手を合わせるすばる。パワハラまがいの教師の圧力で(たぶん永久不滅の)掃除当番が決まり、ややこしい・・・いや、新しい仲間も増えて。
それより何より、秘蔵のフォーミュラカーが手に入って、ようやくマトモな部活が始まりそうな予感・・・。
(ふえっ?そういえば、メグちゃん・・・。マシンがどーとか言ってたっけ?)
すばるの頭をよぎった一瞬の思いが、この後ほんの少しだけ風雲急を告げることになるとは、まだ誰も気づいてはいなかった。
エリーゼは、ひたすらオロオロしていた。
放課後、部室にやって来た恵の異様なまでにドス黒いオーラ・・・。誰が見ても、怒りのハリケーンが吹き荒れているのは一目瞭然。
鬼気迫る形相でこぶしを握りしめ、閉じたままの秘密の部屋の壁を見つめている。
壁の凸凹が恵の目力でさらに悪化したとしても、ことさら不思議ではない。
「す、すばるさん・・・どうしましょう」
「ふえ?エリーゼちゃん?どうするって、何を?」
「ですから・・・あの・・・・・・なんというか恵さんを・・・」
「それなら、簡単!簡単!」
「え?・・・簡単って、一体どうすればいいんですか?」
「気にしなければいいんだよーっ♪」
意外な解決策に固まるエリーゼ。
(怒っている人が目の前にいても、それを気にしなければ問題ない?)
ここまで間の抜けた発想が世の中に存在することに、ただただエリーゼは驚いて・・・。
(すばるさんの頭の中は、こんな時までキラッキラなのかしら。)
そう思ったとたん、深刻ぶってオロオロ+オドオドしている自分が妙におかしく思えてきた。
「ふふっ。すばるさんて、本当に・・・」
「ふえ?なに、なに?」
「な、なんでもないです。ただ、いつもキラッキラなすばるさんがステキだなと思って・・・」
「やったー!ステキいただきましたーっ♪ねえ、ねえ。メグちゃん。聞こえた?エリーゼちゃんに褒められちゃったよ~ん」
恵のドス黒いオーラに、さらなる怒りの炎が加わる。
「ううううっ!」
「ふえっ?」
「すばる!ダラダラおしゃべりしてないで、早くカオリン先生を連れて来てよ!」
「あ、あの・・・すみません。私、保健室に行ってきます」
荒々しい空気に耐えられず、エリーゼがそそくさと部室を後にする。
「ふえ・・・エリーゼちゃん?」
気まずそうに、小さく頭を揺らして息を吐く恵。
「あーっ、やらかした。エリーゼをビビらせちゃった」
すばるが、恵にマグカップを差し出す。
「メグちゃん、今日は黒豆入りのダッタンそば茶だよ。これ飲んで、とりあえず気分変えよっ」
「・・・だよね。てか、すばる。なんで毎日、いろんなお茶があるの?」
「ふふふふーん。実はうちのママ、お茶を集めるのが好きなんだ。で、こそっと部活に持ってきてるの。偉いでしょ?」
「なんかさー、すばる見てるとイライラするのがバカらしくなるよ」
「メグちゃん、なんでイライラしてたの?」
「悔しくて。あと、うまく言えないけど自分がカッコ悪くてさ」
「ふえ?」
「レーシング部にクルマがないと決めつけて、自分一人で先走って。どうにかしようと部活を早退した日に、よりにもよってフォーミュラカーのお披露目があったなんて・・・。そのタイミングの悪さやら、理事長や香里先生、仲間のことを信頼してなかった自分やら・・・いろんなことにイライラして」
「うん、うん」
「それでも気を取り直して、自分なりに仕切り直してさ。フォーミュラカーとの出会いを楽しみに部室に来たら・・・秘密の部屋ってヤツが閉まってた!あーっ、もう!」
「カオリン先生が来ないと、この壁は開かないもんね」
「カーオーリーンせんせーい!早く開けてーーーっ!!」
恵の叫びにかぶせるように、部室のドアが開いた。
「カオリン先輩は今ちょっと手が離せないの。私じゃ役不足かな?」
「ふえ~!理事長さんだっ!」
サトミカこと理事長が、親指と小指を立てて謎の決めポーズを取る。
「私も開けられちゃうのよね、あの壁っ♪」
スカートの裾は破れてない・・・?と、理事長の膝周辺に目をやる恵。でも、あいにくというか幸運にもというか、今日の理事長はパンツ姿でセーフ。
「きゃーっ!この部室、懐かし~っ!ちょっと埃っぽいけど、なーんにも変わってない!ねえ、みんな。レーシング部は楽しい?そう!それなら、よかった」
あれ?まだ返事してないのに・・・と、すばるがぼんやり考えている間も、理事長の滑らかなトークは止まらない。
「カオリン先輩に、面白い美術部員がいるって聞いたの。どこ?どこ?・・・見当たらないなあ。えーっと・・・あっ、この香り・・・!黒豆ダッタンそば茶でしょ?ちょうだい、ちょうだい!理屈はよくわかんないけど、なんとなく美容にいいって聞いたことあるし」
「ふえ?お茶?」
「そう!お茶、お茶」
マイペースすぎる理事長の言動に、恵のドス黒いオーラがまたもや活性化する。
「理事長。お茶より先に、秘密の部屋を開けてもらえませんか?」
「はいはいはーい。ちょっと待ってね」
壁の前までツカツカ歩いた理事長が、首を傾げる。
「あれ~?指紋認証、どこでするんだっけ?」
え・・・・・?
この人、本当に成功している起業家???
恵の脳裏に疑問が走った、ちょうどその時。
ここぞ出番、とばかりに物陰で個人的な部活動を行っていた部長がヒョイと現れた。
「指紋を読み取るセンサーは、この辺りですけど」
前回、香里先生が手を押し当てた場所を、なぜか誇らしげに示す部長。
「やだ!その時代遅れのベレー帽、かわゆすぎ~っ♪あなたね、あなたでしょ。一人美術部でレーシング部の掃除部長になった子って」
「そ、掃除部長ではなく、ただの部長ですけど」
脱線しそうな会話に、恵が割って入る。
「じゃ、そーゆーことで。早く開けてください。サトミカ理事長!」
「もう~。こわい顔しないのっ。それじゃ行くわよ。壁、オープン!」
理事長が手をかざすと、壁がスライドして・・・。
レーシング部自慢のフォーミュラカーが姿を現した。
「わあああああああああっ!うそっ!すごい!えーっ???マジで?本物!!!あーっ!この子、なんて美人なの!!!!」
興奮しまくる恵から、いつの間にかドス黒いオーラは消えている。
「理事長。ちょっとさわっていいですか?」
「もっちろーん♪」
「わあっ!どうしよう!ドキドキしてきた!」
顔を近づけたり、指でちょこっと触れてみたり。フォーミュラカーの周りをグルグル歩き回る恵の目は、まるで小さな子供のようで。
そんな恵の表情を、すかさず部長がスケッチし始めた。
「・・・メグちゃんがキラッキラだぁ」
ぼーっと恵を見つめる、すばる。その背中を理事長がポンと叩いた。
「ふえ?」
「今日、私が部室に来たのは、壁を動かすためじゃないの」
「???」
「星野すばるさん。あなたに用事があるのよ」
「ふえ~っ!理事長さんの用事って、もしかして・・・」
理事長が笑顔でおうむ返しをする。
「もしかして、なに?」
「黒豆ダッタンそば茶、お代わりですか~?」
「きゃははっ!やだ、この子。笑いのエッジ立ちすぎでしょ。ボケてるとか腑抜けてるとか、カオリン先輩にさんざん話は聞いてたけど。あなた、筋金入りね」
「・・・お茶にスジガネは入ってないですよ~」
ため息とも笑いとも取れる息を、かすかに吐いて。理事長が、部室に響く声で言った。
「星野すばるさんを、ちょっと借りてくねーっ」
「ラジャ!理事長」
クルマに夢中の恵に代わって、部長が敬礼をする。
「理事長さん。私、どこに借りて行かれるんですか~?」
「ヒ・ミ・ツです♪ついて来ればわかるわよ」
すばるが連れて行かれたのは、理事長室。
たぶん、富士女でもっとも日当たりの良い部屋。
ゴージャスな革張りのソファの上に、ブサかわいいネコのぬいぐるみが置いてある。
「すばるさん。そのネコちゃん、知ってる?」
「んんん???」
「サキャットくんよ」
「んんんんんんんん?」
「私の宝物。旧富士サーキットのキャラクターだったの。かわいいでしょ♪」
「ううう・・・は、はい」
「ま、それはいいとして。こっちに来て」
理事長に言われるままに続き部屋に入ったすばるは、思わず目を見開いた。
「ふえ~~っ!」
ここも理事長室のはず・・・なのに、本格的なトレーニングマシンが並んでいる。
公私混同のお手本のような光景だ。
「すばるさん。ドライバーは運転ができればいい、ってものじゃないの」
「はぁ・・・」
運転もできないんですけど・・・とは言いにくい雰囲気の中、理事長の話が続く。
「レースは過酷な重力との戦いでもあるの。たとえば、ヘビーブレーキングの時。最大で5.5Gくらいの負荷がかかるとも言われているわ。高速でコーナリングする時の横Gもハンパないし。首がもげるかと思うくらいキツかったりするの。わかる?」
「いえ・・・さっぱり。そもそもジーって何ですか?」
「ああ、そこからなのね・・・」
理事長が軽く肩をすくめる。
「Gっていうのは重力加速度の単位。たとえば、飛行機の離陸の時を思い出してみて。体がシートに押しつけられる、あの感覚よ」
「・・・飛行機?まだ乗ったことないし・・・」
手に負えないと判断したのか、理事長の口調が幼児向けに変わった。
「OK!難しい話はやめましょ。ものすごーくシンプルに説明するとね、ドライバーは体を鍛えなくちゃいけないワケ」
「ふえ???」
「筋力とスタミナをつけないと、とてもじゃないけどフォーミュラカーには乗れないわ。特に首まわりの筋肉をしっかり鍛えないとね」
すばるが、思わず後ずさりをする。
「む、ムリかも・・・わたし、ドライバーなんて柄じゃないし・・・」
「でも、あなた。あのキラッキラの世界が見たいんでしょ?」
「あの・・・ってことは、もしかして理事長さんも?」
「レース中の軽い脱水症状と共に、どこからともなく立ち現れる・・・キラッキラで穏やかでハッピーでワンネスなあの感覚・・・。てっきり昇天したのかと思っちゃった、なーんてね。えへへっ♪」
「ふえ~っ。カオリン先生が話してくれたキラッキラのドライバーさんって、理事長さんのことだったんですか~っ!」
理事長が口角を思いっきり上げて微笑みながら、すばるの肩に手を置く。
「レースの世界と、すばるさんのキラッキラが同じかどうかは・・・わかんない。でもね、言葉では伝えにくいけど。コクピットでしか見られない景色があるのは本当よ。その時になったら、絶対にがんばって良かったと思えるから。少しずつ鍛えていこっ!」
「は、はい・・・」
「ということで、さっそく!」
「ふえ???」
「私の専属トレーナーに特別に考えてもらったメニューを渡しておくわ」
差し出された紙には・・・スクワットにベンチプレス・・・頸部反復運動・・・・・・?????
「すばるさんの場合、そもそも基礎体力が足りてないのよねえ。毎日の走り込みも忘れないでね。この部屋はいつでも自由に使っていいから・・・がんばれっ♪」
「ふえ~~~っ!!!」
ヘロヘロと倒れそうな足取りで、すばるが部室に戻ると。いつのまにやら、こちらにも怪しげなマシンが設置されていた。
「ふえ・・・?バーチャル・ドライビング・システム???」
まだ夢の世界に片足を突っ込んだままの、アブナイくらい幸せな目をした恵がすばるに説明する。
「さっき、業者の人が運んできたんだ。フォーミュラカーを乗りこなすためのシミュレーション・マシンらしいよ」
「運転のシミュレーション??」
「レースを体感するゲームみたいなものって考えれば、わかりやすいかも」
「ゲーム?なんか楽しそう!・・・あれ?そういえば、エリーゼちゃんは?カオリン先生を呼びに行ったまま、戻ってこないねえ」
その頃、保健室では・・・。
エリーゼが、カオリン先生を全力で慰めていた。
「あのバカ男には、女の魅力ってものがわからないのよ!若けりゃいいと思ってるんだから。エリーゼさん。どう思う?やっぱり男はみんな若い子がいいの?」
「そ、そんなことないですよ。うちの両親は母の方が年上ですし。香里先生の魅力がわからないというのは・・・その男性に問題があるのかと・・・」
「あなた、ホントいい子ねえ。世の中の真理がわかってるわ。もうこのまま飲みに行っちゃう?」
「あの・・・私、まだ未成年ですし・・・・・・」
「ソフドリよ、ソフドリ。ケーキもつけてあげるから付き合いなさいよっ。それとも、オバサンの失恋話なんて聞けないとでもいうの?」
「い、いえ・・・」
「まったく、サトミカはいつ戻って来るのかしら?久々に顔を出したと思ったら、エリーゼさんと入れ替わりで部室に行ったきり・・・」
「あの・・・探してきましょうか・・・・・・?」
「もういいわ。どうせ話を聞くのが面倒で、適当に逃げたのよ。あの子、昔からそういうところがあるの」
香里先生が、エリーゼの両手を握りしめる。
「エリーゼさん。教師である前に、一人の女として・・・少しだけ泣いていいかしら?」
「・・・・・・えっと、それは・・・・・・」
「うううっ・・・ティッシュちょうだーい!箱ごと!!」
「は、はい」
トレーニングを始める人。恋が終わった人。その人に迷惑をかけられて困っている人。
それぞれ、いろいろあるけれど・・・。
ゆるキャラ(?)のサキャットくんに見守られつつ、なんとなく具体的な準備が整ってきた富士女レーシング部なのであった。
部室へ向かう途中。
すばるは、ほーーーっと空を見上げた。
「くもり・・・・・・」
バケサーに集められて、青春ドライブで走り出して。
それはまだ、ついこの間のことだったはずなのに。いつの間にか、梅雨空が広がっている。
「あの雲の向こう側には、いわゆるドジャーブルー的なアレが広がっているワケですけど、それが何か?」
「ふえ・・・?」
背後から聞こえる、意味不明の解説に振り向くと。
スケッチブックを抱えた部長が立っていた。
「あれ?部長???・・・だよね?」
「いかにも私は私ですけど、なぜ、そんな質問にもならないような質問を?」
「だって、ベレー帽がないんだもん。なんで?なんで?どこかで落としちゃった?それとも洗濯中?えーと、それとも・・・」
部長が少し頬を赤らめながら、コホンと咳払いをする。
「き、今日は、めずらしく髪がうまくまとまったと言いますか・・・そういうことですけど」
「ふえ・・・?」
「梅雨なのに!なんと、この湿り気にもかかわらずっ!」
「?????」
「わわっ、わからないなら、もういいですから」
「ほわ・・・」
「そ、そんなことより、もっと他に聞きたいことがあるんじゃないですか?」
「別にないよ」
部長がこれ見よがしに、スケッチブックをグイグイすばるの背中に押しつける。
「ふえっ!・・・痛~っ!」
「超高級スケッチブックで背中を撫でただけで、なんと大げさな」
「理事長さんに言われたトレーニング始めてから、全身が筋肉痛なんだよぉ」
「ああーっ。それは、それは」
部長は、すばるの足から頭までスキャンするかのようにズズズーッと視線を動かして、軽い調子で言った。
「セーフ!外傷なし。お肉の増減なし。つまり、問題なしですから」
そして、すばるの筋肉痛はなかったかのごとく、夢見る乙女のテンションで超高級スケッチブック(自己申告!)を胸に抱きしめた。
「近い将来、地球に巨大隕石がぶつかって、エアコンやらパソコンやら合コンやら、世界中の創造的な電気機器がすべてダメになったとしても・・・」
「しても??」
「私、私わぁ!世界のありのままを描写し続ける絵描きであり続けるのです。はい!」
「??????」
「お、思わず所信表明などしてしまいましたけど。他の人達には秘密ですから」
「・・・うん。てゆーか、何の話だっけ?」
部長の脳内には、アナログなペンで自らの手を使って描く力量がなければ、真の絵描きではない(ような気がする)という信念が渦巻いているらしい。
そんな絵描きのこだわりも、実はベレー帽は寝癖対策グッズだったという衝撃の事実も、すばるの筋肉痛にさらされた前頭葉にとっては単なる雨雲と変わらなくて。
「ふえぇぇ・・・やっぱり、くもりぃぃぃ・・・・・・」
お互い相手の状況にロクに関心を抱かないまま、過ぎ行く春の日差しの中、二人は何とはなく部室に到着した。
クラスのゴミ捨て当番を自主的に却下した恵が、部室の埃に日夜耐え続けている健気なパソコンに向かっていた。
「メグちゃん!早いね」
「うん。今朝、兄貴と話してる時、学生フォーミュラ選手権について気になる情報を聞いたんだ。で、とにかく大会規約を見てみようと思って」
「ほえ?きやく???筋肉だけでなく、頭まで痛くなりそうだよ~」
フラフラ椅子に座り込むすばるには目もくれず、部長が不服そうに声を上げる。
「あの~。お取込み中、ナンですけど。なぜ、私のジョセフィーヌを・・・」
「ジョセフィーヌ??あっ、パソコンの名前?」
「い、いかにも名前なのです」
「勝手に使ってごめん。大会規約を確認したら、すぐに返すよ」
「い、いいこと思いつきました。せっかくジョセフィーヌの前にシットダウンしているのですから、私のしたためた貴重な大正ロマン漂う少女マンガ連作集を読んでみてはいかがでしょうカーッ、とかナンとか。遠慮しないでいいんですけど」
デレる部長を無視して、恵が大きなため息をついた。
「思った通りだ。カオリン先生、大事なところ読み落としてるよ。参ったなあ」
「ほえ?・・・メグちゃん???」
そこへ、唯がやって来た。
「おはようニャンコ~♪」
「唯ちゃん。なんで、おはようニャニャンコッ?もう午後のおやつの時間だよ?」
「おやおや?すばるんは、芸能界の常識を知らないのかな?アイドルは顔を合わせたら、いつでも『お・は・よ・う』。それが清く正しくキュートなごあいさつなの」
「なるほど~っ!そういうものなんだ。さすが芸能界っ!」
ほえ~っと合掌するすばるに適当な作り笑顔を見せた後、唯はパソコンの前でうなだれる恵に話しかけた。
「メグミン。マシンのデザインの相談がしたいんだけど」
「唯~っ。やばいよ。デザイン以前に、大会に出場できるかどうか・・・」
「えっ?どういうこと?」
恵の肩越しに、唯がパソコン画面をのぞき込む。
そこには「学生フォーミュラ選手権」に関する詳細が記されていた。
唯が、ここぞとばかりのアニメ声で読み上げ始める。
「えーと、本大会は、10月の3日間にわたり・・・・・・
・・・・・・高等専門学校・大学・自動車大学校などに在籍する学生チームが、自作フォーミュラカー(電気自動車に限定)で200kmを走行し順位を競うレースである。
(ただしレースが70分を超えた場合は、その周を最終ラップとする。)
本大会の開催目的は、学生に本格的なものづくりの機会を提供し、次世代のクリエイティビティを養うことを第一義としている・・・・・・」
理解しているのか、いないのか。
とにかく、すばると部長は「うん、うん」と唯の朗読を聞いている。
「それで、メグミン。何が問題なの?」
「唯。ここ見てよ」
「・・・参加チーム15組、ドライバー30名?・・・あれ、チーム数よりドライバーの人数が多いニャンコ??」
「そう!そうなんだよ!『30÷15=2』・・・つまり大会にエントリーするには、1チームに二人のドライバーが必要ってこと」
・・・・・・んん???????????
思わず見つめ合う、すばると部長。
「ふえ~っ!期待してもムリだよ~!わたし、分身の術とか使えないって!」
「わ、私だって運転なんてムリですけど。期待されても困るデスから」
「そんなこと、誰も期待してないよ」
呆れ顔の恵が腕を組んで、大きくため息をつく。
「エントリーに関しては、顧問のカオリン先生にお任せだったから。ドライバーの人数なんて、まったく気にしてなかったんだよなぁ・・・」
「メグミン、よく気がついたね♪」
「昔、兄貴が大会に出場した時は、たしかドライバーは二人だったって聞いてさ。急に不安になったんだよね」
「ふえ?メグちゃんのお兄さんって、レースしてたんだ?」
「まあね。兄貴のことはともかく、大会規約の話をカオリン先生にしないと。あの人の大雑把な性格から考えて、絶対わかってないよ」
ふいに、唯がイラついた口調でつぶやく。
「こんな時に、中嶋エリーゼさんは何をしているのかしら?」
「あ、あの・・・さっきから、ここに・・・・・・すみません」
「天才セナ様も、すっかりシッカリいますわよ」
どうやら唯がアニメ声で気持ちよく大会規約を読み上げている途中、いかにもエリーゼらしい控えめなドア開閉で入室していたらしい。
不意を突かれた唯は、とっさに防御用のキツいアニメ声で言葉を返す。
「いればいいのよ、いれば・・・。べ、別に遅いからって、心配していたワケじゃないから」
「ちょっと唯。そのツンツクデレリンなしゃべり方、やめてくださる?わたくし、虫唾が走りますの。まるっとゲロッと真っ逆さまに、あのラティだかラッキョだかっていう旧式ヘッポコ・ナビを思い出してしまいますですわ。トンデモ不愉快、なおかつフラストレーション大爆発ですの」
その時、ふいに。
かわいらしいのに、どこか凛とした声が響き渡った。
「そこの小学生!いいかげんになさいよ!誰がラッキョですって?」
「こ、このべらぼーにイヤミったらしいクソ生意気なおマヌケ声はっ!」
「あんたより百万倍もステキなインターフェース。ラティ様よっ」
秘密の部屋の壁がシュルシュルッと開く。
そこには、いかにも偉そうにポーズを決めるラティの姿・・・。
さらに中央のフォーミュラカーから、ヘッドマウントディスプレイを装着した謎のドライバーが現れた。
片手にはブサかわいいネコのぬいぐるみ・・・?
「ふえ~っ!サキャットくんだぁ!」
「すばる!サキャットくんって?あの怪しいドライバーの名前?」
「違うよ、メグちゃん。サキャットくんはネコちゃん。旧富士サーキットのマスコットキャラクターだよ」
謎のドライバーが楽しそうに笑う。
「はい、せいか~い!すばるさん、よく覚えていたわね」
「その声・・・まさかサトミカ理事長?」
恵のすっとんきょうな声と同時に、ドライバーがヘッドマウントディスプレイを外した。
「恵さんも、せいか~い!みんな、元気してる?サトミカだよーっ!」
「サトミカ理事長!元気とかどうでもいいんです。今はそれより深刻な問題が・・・」
理事長が、からかうように聞く。
「それって二人目のドライバーのことかな?」
「もう!わかっているなら、どうにかしてくださいよ!入学前、全員に適性検査をしたんですよね?すばるの他にドライバー候補はいないんですか?」
「いるでしょ、あなた達の目の前に」
部室内をくまなく見渡しても、該当する人物はどこにもいない。
「サトミカ理事長、ふざけないでください!」
すると理事長は満面に笑みを浮かべて、平然と言い放った。
「ほら、こっち。見て見て!なんと、もう一人のドライバーは私なのでーす♪」
☆※?▽※!!※□□#※#○!!!!?
「あなた達、私を誰だと思ってるの?」
「ふえ???」
「サトミカは、我が富士女の理事長よ。部活を盛り上げるために優秀な生徒を編入させるくらい、朝めし前ってこと♪わかるかな~?」
恵が怪訝そうに聞き返す。
「つまりサトミカ理事長は、レーシング部のドライバーをやるために、自分で自分を編入させたってことですか?」
「ピンポーン!大正解っ!」
「大学はどうするんですか?」
「うちの大学、ダブルスクールOKなの。エヘッ♪」
「まったく・・・なんで、そんな面倒くさいことを・・・?」
「だって、やりたかったんだもーん♪今日みんなが来たら、壁を開けてさっそうとお披露目しようと思ってたの。そしたら、なんかドンドン話がダークな方向に進んでいくじゃない?飛び出すタイミング外しちゃったワケ。でも、結果的にはメチャいい感じの登場だったでしょ♪」
「はあ????」
もはや半ギレの恵を見て、ひたすら怯えるエリーゼ。
すかさず部長は、エリーゼの青白い横顔のスケッチを始めて。
唯は、ブサかわいいサキャットくんに釘づけ。
そして、セナとラティの火花散る攻防をよそに、鼻歌まじりにお茶の用意をするすばる・・・。
「まったく、やってらんないよ・・・。みんな、自由すぎでしょ!」
「ホント、自由すぎるわよね」
いつの間に来たのか、香里先生がドアにもたれて恵を見ていた。
「でも、こういうの楽しくない?」
「楽しいっ!」
目をキラッキラに輝かせて、すばるが叫ぶ。
「ふえ~っ、カオリン先生。ナイスタイミング!一緒にお茶しよっ!」
「する、する。あら、この香りは・・・ピーチティーね」
「うん。ほんのり甘くて美味しいんだ」
ほわ~っとした顔で、すばるが恵にマグカップを渡す。
「はい、メグちゃん。難しいことは後にしようよ。お茶が冷めちゃう」
神妙な顔つきでマグカップを受け取った恵が・・・
「プププッ!」
いきなり吹きだした。
「やばい!なんかもう、よくわかんないけど。バカバカしすぎて笑えてきた~っ」
「それよ、それ!恵さん。人生なんて、所詮バカバカしいことだらけなのよ。ドライバーが少し老けた女子高生だからって、何の問題があるって言うの?私のショックに比べたら、そんなのかすり傷みたいなものよ。ねっ、エリーゼさん!聞いてよ。先週の日曜日に初恋の彼が結婚しちゃったの~!忘れもしない、あれは幼稚園のジャングルジムの上。彼は私に、こう言ったの。『香里ちゃんのことは、僕が守ってあげる』・・・なのに、なぜ?なぜ、約束を破ってあんな若い女と結婚を~???・・・うううううっ、ティッシュ!テイッシュよ、エリーゼさん・・・ううううううううっ」
「か、香里先生・・・しっかりなさってください・・・・・・」
「ぶわああああああああああああーっ!」
エリーゼに香里先生のお守りを任せて、ティーブレイクに突入したレーシング部。
怒りが一周半回ってすっかり毒の抜けた恵を中心に、マシンのデザインプランで盛り上がる・・・はずが、急に唯が甲高い声を上げた。
「あれれ?部長?ベレー帽はどこニャンコ?」
すばる以外の全員が、部長の頭部をシゲシゲと見つめる。
「み、みなさん。もしや今の今まで、私の頭についてナーンにも気づかなかったとか?」
「レーシング部の一大事に、部長のベレー帽なんて見てられないよ」
「だよね、恵さん。そもそも、サトミカ的には一人美術部に特に興味ないし~」
「唯も!唯も!」
「み、みなさん。なぜに私に無関心なんですかーーーーっ!私、私わぁ!部長なんですけどーーーーーーーっ!泣きます、泣きますから。もう泣いちゃいますからっ。エリーゼさんのお膝で泣きじゃくりますからーーーーーっ!」
「ダメーッ!エリーゼさんは、私の相談役なのよ~。ぶわああああああっ!」
「ぶ、部長さん・・・香里先生・・・・。あの、私、どうすれば・・・・・・」
「エリーゼさん。カオリン先輩と一人美術部は、二人で泣かせておけばいいのよ。あなたも、こっちでお茶しましょ」
「あ・・・はい」
(それにしても・・・理事長が女子高生って、やっぱ無理あるよなぁ・・・。)
かすかな疑念が、部員それぞれの脳裏に浮かびつつ。
「ま、いいか」と、マイペースにお茶を飲む午後。
もう少しだけ他人のことを気にするようになれば、チームワークはさらに素晴らしくなるに違いないのだけれど・・・。
富士女の超限定的なデータによれば。
女子がため息をつくケースは、ほぼ二種類に分類される。
【ケース1】
ズバリ! LOVE♪♪
約73%もの女子が、恋をすると無意識で、口から息を漏らしてしまうらしい。
ちなみに、この統計は女子高生に限ったものではない。その証拠に、保健室の先生にもまったく同じ兆候が見られる。
ちなみに保健室の先生の場合は、失恋時にも口から息を漏らす様子が目撃されている。
【ケース2】
定期試験の一週間前、及びその期間中。
なぜか約半数の生徒は、テスト期間も出題範囲も知りながら事前に対策を立てることができない。
その時期、富士女の校内には宇宙から特殊な光線が降り注ぐ。焦り・諦め・無気力を誘発する謎のウィルスに感染した者は、試験明けまでもがき苦しむことになる。
その初期症状が、どうやら地球で言うところの『ため息』に似ているようだ。
(いずれも「富士女白書203X年」レーシング部部長調べ)
というわけで。
すばるは、朝からすでに21回目のため息をついていた。
もちろん【ケース2】。つまり、迫りくるテストが憂鬱で憂鬱で(×100)。
「ため息つきながら部室の片隅で腹筋するすばる、かわいいなぁ~」
「・・・ふううううう・・・・・・」
「ここんとこマシンに夢中で、すっかり忘れてたよ。すばるへの偏愛」
「ふえ?ヘンタイ?」
「たしかにヘンタイっぽいかも。すばるんを見つめる、メグミンの目」
唯が呆れ顔でぼやく。
「唯。ステキな褒め言葉サンキュ」
「褒めてないニャンコ~。それより、もう帰ろうよ。テスト一週間前は部活禁止でしょ」
「そういう唯は、そもそもなんで部室に来たの?」
ニヤニヤしながら、恵が唯の顔をのぞき込む。
「べ、別に~。単なる習慣ってやつ?なんとなく足が向いただけだもん」
「ふうん?てっきり、部活のみんなに会いに来たのかと思ったよ」
「唯は、そんなヒマ人じゃないニャンコ・・・てゆーか、あの人、やっぱり来ないね」
「あの人って?」
「ほら、中嶋エリーゼさん。いい子ちゃんだから、きっと今頃はおうちでお勉強かな。だいたい彼女がレーシング部って似合わないんだよね。ホントはやりたくないのに、言い出せなくてズルズル引き込まれてるだけだったりして」
ふいに恵が唯に目くばせをする。その視線を追って、唯が部室の入り口を見ると・・・。ギュッと体を硬くして、エリーゼが立っていた。
「あの、すみません・・・私・・・・・・」
きびすを返して走り出すエリーゼ。その背中を無表情に見つめる唯に向かって、恵が大声を上げる。
「唯!ナニやってんの!早く追いかけなよ」
「でも・・・」
「前から気になったんだけど、唯はエリーゼに対して冷たいんじゃない?」
「・・・・・・別に、そんなことないもん」
「そんなことがあっても、なくても。現実に、唯の言葉でエリーゼは傷ついたんだ。このままでいいの?」
「ふう・・・・・・」
【ケース1】とも【ケース2】とも違う種類のため息をついて、唯はエリーゼの後を追っっていった。
旧富士サーキット=通称バケサーの正面ゲート。
文字の消えかけたボードの前に、エリーゼはぼんやり立っていた。
ガツッ!
背後から聞こえた大きな音に、反射的に振り向くと・・・。
唯がつまずいてコケていた。
「もう!なんで、こんなところに石があるのよ~っ」
「唯さん、私を追いかけて・・・?だ、大丈夫ですか?」
駆け寄ろうとして躊躇して、それでも思い直して駆け寄ったエリーゼが、唯に手を差し伸べる。
それを無視して唯は自力で立ち上がり、パンパンとスカートの裾についた砂を払った。
「あの、唯さん・・・おケガは?」
「大丈夫」
エリーゼがホッとした顔で微笑む。
「ホント、もう。そういうところがイライラするの」
「え・・・?」
「唯のこと、ムカついてるくせに何も言えなくて。心配して助けようとする、そういうところだよ」
今にも泣き出しそうな顔で、エリーゼがつぶやく。
「ご、ごめんなさい」
「ふう・・・」
自分を落ち着かせるかのように、ため息をつく唯。そのまま、正面ゲートの太いロープをくぐってバケサーの中に入った。。
「唯さん・・・?ここは、ふだんは立入禁止で・・・・・・」
「ゴチャゴチャ言ってないで、あなたも来れば?」
「あ、はい・・・」
エリーゼが恐る恐るロープをくぐると、唯は無言で歩き出す。それに従うように、エリーゼも歩いて。
二人は、雨ざらしで色のすすけたメインスタンドに腰かけた。
「唯に言いたいことがあるんじゃないの?」
「・・・・・・」
「ホント、そっくり。だからイライラしちゃうんだ」
「・・・・・・」
「中嶋エリーゼさん・・・中学の頃の唯に、そっくり」
「・・・・・・えっ?」
「傷つくのが怖くて。人に嫌われるのが怖くて。言いたいことも言えず、我慢して。いつもがんばってニコニコして。ホントはもっとみんなの真ん中で明るく弾けたり、気持ちをハッキリ言葉にしたいのに。バカみたい。・・・バカみたいだったんだよ、唯は」
「・・・・・・」
「だから高校デビューしたの。ぜんぜん違う唯になってね」
「・・・・・・・・・・・・」
「で、キャピピッと部活に入ったら、中嶋エリーゼさんがいたの。なんていうか、忘れてしまいたい昔の自分を見てるみたいで・・・」
「・・・ごめんなさい」
「なんで謝るの?むしろ怒るトコでしょ。唯、メチャ自分勝手なこと言ってるし。ずっとずっと、中嶋エリーゼさんにイジワルだったし」
「でも・・・」
「何よ?」
「唯さんの気持ち・・・わかるから・・・・・・」
「やだ、なんで泣くの?まるで唯がイジメたみたいに見えるじゃない。お願いだから、やめてよ。目の前で泣かれたら、唯だって・・・・・・。唯は・・・唯は中学の時、ずっと泣かずにがんばってたのに・・・・・・・・・うぇーん!」
約30分後。
どちらからともなく泣き止んだ二人は、真っ赤に腫れた目でボーッとサーキットを眺めていた。
「唯、ちゃんとわかってるんだ。中嶋エリーゼさんは、昔の唯とは違ってホントのホントに優しい人だってこと」
「そ、そんなことないです。私、心は真っ黒なんです。・・・だって私、唯さんに嫉妬していたんですもん」
「なに、それ?」
「セナが・・・あの人見知りのセナが、唯さんとだけはすぐに打ち解けたから・・・」
「ふふっ。かわいいなあ、中嶋エリーゼさん。だからイライラしちゃうのかも」
「あ、すみません。またイライラさせちゃって・・・」
「うん。イライラする」
「すみません」
「うん」
次の瞬間。二人は、どちらからともなく笑い出した。
自信のない自分。弱虫の自分。でも、がんばりたい自分。そういう色んな自分が、なぜか今は愛おしく思える。
「あーっ!唯達、こんなところでボーッとしてる場合じゃなかったよ」
「・・・えっ?」
「テスト!テスト!」
「ああっ!」
「てゆーか、唯、部室にカバン置いたままだった!」
「と、とにかく学校に戻りましょう」
立ち上がりながら、唯が少し恥ずかしそうにエリーゼにささやいた。
「唯の高校デビューの話。メグミン達には内緒だよ」
「は、はい」
「二人だけの秘密ニャンコ♪」
秘密・・・という特別な繋がりが嬉しくて、エリーゼが恥ずかしそうにうなずく。
照れ隠しのぎこちない会話をポツポツ続けて、二人が部室に戻ると。恵がすばるを叱り飛ばしていた。
「ちょっと、すばる!こんなコトもわかんなくて、どーすんの?」
「だって、だって~。メグちゃんの問題、難しすぎるよ」
「メグミン。すばるん。どうしたの?」
唯とエリーゼの姿を見て、いつにない高速ですばるが駆け寄る。
「ふえ~っ!助けて~!メグちゃんがオニ家庭教師になっちゃった~!・・・て、あれ?あれれれ?唯ちゃんとエリーゼちゃん、目が腫れてるよ?どうしたの?」
唯はプイと天井を向き、エリーゼは目を伏せる。
でも、二人の表情は明るい。それを見て取った恵が話題をそらすかのように、すばるを追い回す。
「こらっ、すばる!ちゃんとやらないと、抱きついちゃうぞ」
「ふえ~~~っ」
息を切らして机にへたり込んだすばるに、唯が話しかける。
「もしかしてテスト勉強してたの?」
「唯ちゃん、聞いてよ~。わたしが歴史が苦手って言ったら、メグちゃんが問題出してくれるっていうから、問題出してもらったら、その問題がね・・・」
おずおずとエリーゼが会話に加わる。
「あ、あの・・・すばるさん?お話が見えないんですけど?」
「ふえ~。だから、だから~」
まったく進まない会話をさえぎって、恵が声を上げた。
「はい、はい。すばるの説明は強制終了ね。せっかく唯とエリーゼが戻ってきたんだから、みんなに歴史問題を出してあげるよ」
はふはふ、もごもごと何かを訴えるすばるには目もくれず、恵の歴史勉強会が始まった。
「第1問!関ヶ原の戦いが行われたのは・・・」
「えーと、西暦1600年ニャンコ!」
答えた唯をニヤリと見て、恵が言葉を続ける。
「そう、1600年ですが・・・」
「・・・それでは、EV車のF1とも称されるフォーミュラEの大会が初めて行われたのは、西暦何年だったでしょうかーーーっ!!!」
「??????????????????」
全解答者の頭が、クエッションマークでいっぱいになる。
「あれ?みんな知らないの?言っちゃうよ?答え、発表しちゃうよ?」
唯がポソッとつぶやく。
「もうすぐテストだし、帰ろっか」
「は、はい。そうですね。すばるさんも、そろそろ帰りませんか」
「うん。帰る」
ゾロゾロと部室を出ていく三人を、恵が追いかける。
「ちょ、ちょっと待って。私が悪かった。一緒に帰ろうよ~」
「こ、答えは・・・西暦2014年なり~!ピンポーン!」
「2014年9月、中国で初めてのレースが行われたのであーる。その後も、世界各地を転戦・・・。フォーミュラEのすごいところは、サーキットではなく市街地でキュイイーーーーンと走ることなのですね。・・・て、誰も聞いてないし」
その日、まったく存在を把握されなかった部長が、誰もいなくなった部室で密かに正解を出し、さらには解説までしていたことを誰も知らないまま・・・。
ため息だらけのテスト期間が始まろうとしていた。
「はあ・・・・・・」
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